毎日新聞5月15日山口版に、team SAKE第1陣の記事が掲載されました。
まだチーム名をつけずに活動していた時期なので、記事中で「team SAKE」という呼び方はされていません。
ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。
■被災地を歩いて:東日本大震災 顔見える支援の大切さ痛感 /山口
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
被災地を歩いて:東日本大震災 顔見える支援の大切さ痛感 /山口
岩手県に派遣された直後、私は震災で外部との交通・通信手段を断たれた孤立集落に支援物資を運ぶ京都大学大学院生2人に同行取材した。
同大サイクリング部に所属する足立大さん(34)と伊藤栄俊さん(25)は「車では行けない場所に自転車で物資を届けよう」と軽トラックにマウンテンバイクと物資を積み、京都市を3月20日に出発。21日には宮城県南三陸町の孤立集落に入り、米やみそを届けていた。22日、岩手県一関市で2人と落ち合い、トラックに同乗して同県陸前高田市や大船渡市を巡回。その夜、トラックで南三陸町の泊崎半島にある馬場と中山の二つの集落に到着した。
両集落は約200世帯が津波で流され、小さな公民館に95人が避難。車で着くことはできたが、津波で海沿いの道ががれきでふさがれ、物資の集まる隣の集落へ向かうには細くて急勾配の山道を通らなければならなかった。電気も復旧していなかった。震災後、仙台市から帰郷してきた女性(46)が、被災者支援の過労で倒れたが、電話を使えず、救急車を呼べなかった。女性は数日後、体がけいれんし、亡くなったという。避難所の責任者で漁師の阿部倉善さん(61)は「神様仏様に祈っても仕方ねえ状態だ」と怒りと悔しさが混じった声で話した。
足立さんたちがトラックから米やみそ、ガソリンの入った携行缶を降ろそうとすると、被災者たちは「本当にありがたい」と満面の笑みを浮かべ次々と集まってきた。何よりも外部から人が来たことに「よくこんな所まで来てくれた」「この集落を忘れねえでくれ」と喜んだのが印象的だった。
帰りのトラックの中で足立さんは「被災地が広範囲に及ぶから、支援が遅れる地域もある。中には『自分たちは忘れられた存在』と思う人も出てくるだろう。支援をする人、受ける人が、互いに相手のことが分かるような、顔の見える支援が大切だと思う」とつぶやいた。
被災地の復興には数年、数十年の長い年月を要するだろう。被災者たちの顔が見えれば支援も長く続けていけるのではないか。「顔の見える支援」の必要性を感じた。【尾垣和幸】=随時掲載=
〔山口版〕
チームサケ:集落のための東日本大震災復興支援サイト
team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。
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