緊急のお知らせ欄


英語バージョンができました。 HERE comes ENGLISH version
現在、被災地で必要としているヒト、技術、知識 ★募集中一覧

支援別カテゴリー

岩手県集落別カテゴリー

宮城県気仙沼方面集落別カテゴリー

宮城県石巻方面集落別カテゴリー

火曜日, 4月 26

産経新聞に掲載されたteam SAKEの紹介記事

産経新聞4月25日夕刊に、team SAKEの記事が掲載されました。

ウェブ上でも「MSN産経ニュース」において、閲覧することができます。

■【被災地から 関西から】いまだ水不足の地区も 鮭の心、つながりを+(1/2ページ)

■【被災地から 関西から】いまだ水不足の地区も 鮭の心、つながりを+(2/2ページ)




team SAKE 足立


~~~以下掲載記事~~~


いまだ水不足の地区も 鮭の心、つながりを

2011.4.26 14:35

 東日本大震災の被災地には今もさまざまなボランティアグループが支援に入っている。京都で有志によって立ち上げられ、小規模集落を訪問し、支援を続ける「Team SAKE(サケ)」の大関はるかさん(31)に話を聞いた。

 もともと、地図を見てはその場所に赴くことを趣味にしていたという大関さんの友人が、震災後に「報道もされていない集落は、孤立している可能性がある」と自転車で物資を運んだことを契機に、十数人でチームを結成。3月下旬から交代で三陸地方の小規模集落に入っている。

 物資の支援とともに、重視するのは「心のつながり」。「何度か訪問すると、心の中の『深い思い』を話していただけるようになる気がします」。4月初旬に岩手県陸前高田市にある広田半島の六ケ浦集落を訪ねたときには、集落の中心となり、気を張って集落をまとめていた女性から「話を聞いてくれることが、何よりのボランティアだよ」と声をかけられた。

 またチームのホームページには、避難所ごとに「野球のアンダーウエア」や「抗菌スプレー」など、さまざまな支援物資が「募集中」と記載されている。「集落や避難所ごとに状況が違う。また同じ集落でも時間がたつと状況が変わる。だから何度も訪問し、被災地外の人にも、繰り返し伝えたい」と話す。

被害の状況はさまざまだが、集落のみんなが団結して難を逃れたケースも少なくないという。それでも震災から1カ月以上がたち、「いまだに水が足りないという話も聞きます。ずっとがんばってきて『限界だ』と体調を崩す人もいる」。六ケ浦集落の女性も体調を崩しているといい、心配が募る。

 京都から来たメンバーを、被災者は喜んで迎えてくれるという。チーム名の「SAKE」は魚のサケ(鮭)。「もう一度戻ってきてほしい」と被災者がつけてくれた名前だという。大関さんは「人と人の『つながり』を大切にしてもらえるのはコミュニティーのいいところ。これからも、被災地の方と互いに『ありがとう』と言い合える関係を築き、続けていきたい」と話した。



Eメール Kaze@sankei.co.jp  FAX 06-6633-1940  郵送 〒556-8661(住所不要)産経新聞 社会部「被災地から関西から」  *お便りには、ご自身の電話番号、年齢を明記してください

日曜日, 4月 24

4/30(土)13:30~ チームSAKE のこれまでの報告とこれからの活動について

SAKEを通じて三陸の小さな集落を支援してくださっているみなさまへ

team SAKEのはるか@京都です。
こんばんは。
活動を始めて以来、全員が京都にいる初めての週末です。

今週末には、5陣が三陸へ向かう予定です。
今回は、ゴールデンウィークで休みが取りやすく、3組くらいが動くことになる予定です。
これまでに赴いた集落への再訪問などが主な活動になると思います。

これまで、team SAKEでは、緊急性が高いなどの理由で、機動力に重点を置いて活動してきました。
毎回、リーダーやメンバーの特性により、特徴ある動きがありました。
また、現地は驚くべき速さで変化しており、第1陣から第4陣が経験したことはそれぞれ大きく違います。

ここで、4回に渡って活動してきた内容を振り返りたいと考えています。

また、集落の方たちとみなさんとをつなぐ役割も果たしていけるよう、今後の活動についてもご報告できればと考えております。

連休中ではありますが、お時間合う方、ぜひお越しくださいますよう、お願いいたします。


日 時:2011年4月30日(土)13:30~16:00
場 所:京町家さいりん館(室町二条上ル東側)にて  http://www.sairinkan.com/  
参加費:300円(会場費として) → さいりん館さんからteam SAKEの活動に、全額寄付していただけるとのこと
内 容:1~3陣の全体報告、第4陣の報告、第5陣の活動予定、ウェブなどを通じてみなさんに直接支援していただくカタチの紹介など(予定)

※この報告会後、第5陣が出発予定です。
 29日(金・祝)と30日(土)で、集中的に準備をしますので、お時間ある方、マンパワーをお貸しください。
 ボランティアが可能な方は、お名前と可能な日時、得意なことなどを合わせてお知らせください。

◆作業は、買い出し、荷造り、物資管理、装備管理、事務作業、ブログ関連、ごはん作り、掃除、整理整頓、子守り、パンフレットの配布、情報発信・・・など、幅広くあります。

◆遠くの方へ サケブログに、各集落で必要とされているものについての発信をしています。ぜひ、急ぎ直送してください。お手紙や地酒、地元のお菓子、保存食などをつけていただくのも良いと思います。


すべてのお問い合わせは、teamsake311(あっと)gmail.com までお願いいたします。


team SAKE 大関はるか

金曜日, 4月 22

第4陣、京都到着!!

先ほど13時過ぎに、第4陣のメンバー(川手光春、坂、松村)とお迎え組(三枝)が、京都に無事帰ってきました!19時頃まで報告や会計などをして、さきほど4人とも帰りました。
みんなお疲れ様でした。少しはゆっくり休んでくださいね。

第4陣は様々なトラブルに見舞われながらも、これまでで最も数多く集落を訪れることができました。おかげで、被害の大きかった三陸南部(牡鹿半島~船越半島)の全体が、ようやくが少しは見えてきた気がします。

三陸地方は日に日にすごい勢いで復旧が進んでいる反面、一ヶ月以上経過した今でも、未だに支援が十分行き届かない場所もありました。
避難所が解散になって被災した自宅へ戻られる人がでてきたり、仮設住宅の建設が話し合われるなど、新たな動きも出てきています。

私たちteam SAKEも、これらの状況を踏まえた上で、どういう動きができるのかを話し合っていきます。

team SAKEの役割は全国の方々と三陸地方とをつなげていくことなので、皆さんのご協力なしには活動が成り立ちません。これからも引き続きご支援をお願いいたします。


team SAKE 足立

第4陣 4月21日報告 小谷鳥、田ノ浜(瑞然寺)、桑ノ浜、箱崎(西山家)

深夜1:34、地震あり。
吉里吉里。寒くて目が覚めた。5時30分
駅トイレあり。水場ありよかった。

岩手県下閉伊郡山田町
小谷鳥へ、

一番奥の2軒は車なく、なかなか買い出しに行けない。
調味料などとても重宝された。
別の家のおばあちゃんは、旦那さんと息子さん二人が船を見に行って戻らないとのこと。もう一人の息子さんは消防で出ていて帰ってこないとのこと。娘さんが避難してきて一緒に住んでいるとのこと。伺った時は通院で外出中だった。
梅干しなどは、以前第2陣が渡したのが残っているとのこと。

一番奥の家は分家の方がご両親のお年寄り夫婦と暮らしている。
病院に行くのも、調味料など買い出しにいくのはとても大変。もちろんバスはないし、タクシーもなかなか来てくれない。本当に助かります。とのこと。

山田町田ノ浜
瑞然寺へ。
避難者は20人ぐらい。食事に来る方も他にいる。
作業している人に聞くと、何でも助かる、置いていけるものは置いていってくれとのこと。作業していたのは避難されている方だった。
届く支援物資は食料中心、桶や爪切りなど、細かいものはなかなか届かないので本当に助かるとのこと。


ひとしきり荷物を下ろし終わると、中へ通され和尚さんを紹介された。
和尚さんは、以前から自然の猛威、災害のことを啓蒙されておられ、「和尚さんの言うことが本当になった」と言われたとのこと。全国でも色々な話を講演されているとのこと。
囲炉裏ばたで和尚さんが入れてくださった美味しいお茶をいただいた。
津波の時は、直ぐ下まで海水が来て、裏山も燃えた。
それでもお寺を離れず守り抜いたとのこと。城(寺のこと)と共に死ぬつもりだったとのこと。
また、いつまでも被災者でいてはいけない、一歩踏み出して自立していかなければとおっしゃっており、今日も行くあてができた方3人が巣立っていったとのこと。
避難している方々は、お寺のものを借りている。物資として細かいもの、生活雑貨がとても喜ばれた。
電気は来ていた。私たちがお邪魔しているときに、社協の人が避難者の人数確認、手伝いなど必要ないか訪ねてきた。定期的に巡回に来ているようだ。その社協会の方も北海道からの応援職員だった。
対応してくれた方の連絡先を聞いた。
和尚さんを中心に結束が固そうな印象だった。

このあと、道の駅山田にて野菜等買い足した。

釜石市箱崎町
桑ノ浜へ
とても狭く入っていくことをためらうような集落へ通じる道。
出てくる方がいたので、先に行けるかに聞くと道は通じているとのこと。
入っていくと対向車が多い。みんな買い出しにいくタイミングなのか。
集落に着き、地元の人に聞くと避難所(民家)を教えてくれた。
チームサケを名乗ると以前京都から来た人がいて、みそ、梅干、灯油とかもらったなー。とのこと。昨日電気が通ったとのこと。
同じ仲間ですと伝え調味料など必要かを聞くとあれば嬉しいとのこと。
軒先でおばちゃんが、小学生のランドセルや絵の具道具セットなど、泥まみれのものを丁寧に洗っておられた。
調味料など置いて、情報を聞くと先にまだ集落があるとのこと。

箱崎町
箱崎へ

さらに奥へ進むと道も泥道。奥の方に一軒残っている家発見。煙突の煙が見えた。
入り口に西山家避難所と書いてある。
近寄っていくと数人のおじさんがおり、西山さんの家だった。
震災当日の夜、西山家の上の山で、音がするので上がってみると30人位が避難していてそこで夜を明かそうとしていたため、家に招き、始めの3日ぐらいはみんなで家で過ごした。西山さん宅も床下浸水。
下を見渡すと瓦礫の山。数軒2階部分と思われるものがあるが、そこは実は畑で、下の方の家が流されてきたもの。
現在残っているのは十名ぐらいか。
食材でも調味料でも助かるとのこと。
生活雑貨も喜ばれた。毛布も足りなそうだったが手持ちになく、手持ちの膝掛けでも重宝された。近くに店はなく買い出しは大変そう。
昨日から電気が通った。水道は来ていない。 給水車からもらう水と以前避難していた人が協力してくれて、持ってきてくれた水を利用している。 電気が通り井戸を直して井戸水が使えるようになったとのこと。
来た道と反対側に抜ける道は昨日崩れて通行止めになったらしい。
道路が崩れたのは、波に洗われたせいだとのこと。町に抜けるのは来た道の一本道しかないとのこと。
お酒は大変喜ばれた。普段は飲まないというおじさんが、最初の頃は寒くて寒くて寝れないからこれ(お酒)で体を温めたんだとのこと 。
30名ぐらいが今も行方不明。4日前から自衛隊が来ていて、捜索活動が行われており、まだ一人も見つかっていない。男衆は協力していた様子。
戻ってきた男衆も一緒に、北海道の知り合いから今日届いたというお餅でつくったおしるこ、西山さんの浸けた美味しいつけものをご馳走になった。漁師のお兄さんに、本当に遠くからよく来てくれた、漁ができるようになったら美味しい魚送るから連絡先を西山さんに教えておいてくれとのこと。

板金屋でも避難していると聞いて、来た道を戻っていくと、有限会社アールという会社と工場を見つけ、声をかけると、避難している人がいるとのこと。 対応してくれたのは社長だった。会社事務所で生活している。
調味料や野菜、生活雑貨などありがたいとのこと。
買い出しには行けるが、店が遠いので大変。
荷物を下ろしているときにその家で避難している人が帰ってきて、カッパを見て「そのヤッケ、おらもほしい。雨の日の作業ができる。」と言ってくれたが1つあったレインスーツは社長さんに渡したため在庫なし。残念そうだった。
毛布もあれば欲しいと言われたが、手持ちになく対応できなかった。
この会社は、ウニのわたを取る機械を発明し、特許申請している会社で、幸い工場は無事なので、早く復旧させたい。とのこと。
チラシを見せてくれたが、なんとモデルは社長本人。
一緒に写真撮影をさせていたでき、ホームページに載せたい旨伝えると、良い宣伝になると喜んでくれた。賞や取材など受けているそうで、「いろんなところにいろんなことやってる人がいるんだぞ、がんばってやっていくよ」と語っておられた。


以上、終了とする。


team SAKE みつはる、さか、はかせ

編集:team SAKE 足立

水曜日, 4月 20

第4陣 4月20日報告 綾里田浜上、小石浜、崎浜、越喜来、本郷、尾崎白浜、小枕

綺麗なトイレの盛駅を後にし、綾里の田浜上へ。途中ガソリンスタンドで給油中に小さな避難所を聞くと、田浜上の方を紹介していただいた。
田浜上に向かい、近所におられた方に聞くと、避難所を教えてくれた。

行ってみると、ちょうど避難所の方と管理している方とおられ、調味料など必要かを聞くととても喜んでくれた。
管理者の方は、自宅あり。
始め5世帯が避難していたが、現在は他の方は移られ、1人残っている。
空き家だった場所を以前から地区の避難所にして備えていた場所。
買い出しには行けるが、朝早く行かないと品切になってしまう。
電気はまだ通っていない。食料はありがたい。
まとめ買いできないので、ありがたい。青い野菜が欲しい。
キャベツの箱を見てキャベツが欲しい!
箱だけで中は別だった。ごめんなさい。

調味料など、とても喜ばれました。
近くのことを聞くともう一軒、人が避難しているところがあるとのこと。

行ってみるとおばあちゃんが一人で畑にいた。
話してみると、3家族が避難していたが、既にアパートや親戚のところに移ったとのこと。
寄っていってと進められ、お言葉に甘えお話を聞きに。
現在、電気、水はまだ来ていない。
漁に出たときに水をいれ獲物をいれて帰ってくるときに使う大きなタンクを軽トラに入れて、水の出るところから水をもらってきている。
給水車も来ている。
昭和8年の津波の時6才で、当時のことを思い出す。
親がどれだけ苦労したか。
涙混じりでお話しいただきました。
遠くからよく来てくれた。ありがとうと頭を深く下げて感謝され、こちらこそ、ありがとうございましたと伝えて次へ行こうとしたところ、息子さん夫婦とお孫さんひ孫さんが帰ってきたので、挨拶し次へ。

小石浜行くと作業中の二人組に出会い、
声をかけると、避難所は解散したとのこと。
小規模集落を支援したい旨、調味料を持ってきたことを伝えると、避難所だったところへ持って行き、必要な人に渡してくれるとのこと。
避難所だった小石浜公民館2年前に高台に移った。
家がある人、ない人全て集まり、共同で乗りきったとのこと。
130名くらいの集落。
遠くから来てくれてありがとう。
小石浜会長の名前と電話番号だけお聞きした。
絶対復興するぞ!と力強い言葉をもらい、次へ。

崎浜の集落について女の子2人発見
避難所の位置を聞くと一人が案内してくれるとのこと。
その子の家もお寺で避難所指定されているが、避難している人はいないとのこと。
崎浜公民館は、ちょうど片付けをし始めていたところ。
現在、全ての人がアパート、親戚のところなどへ移転されたとのこと。
物資も買い出しに行けば買えるし、問題ないとのこと。
衣類など物資は一杯来て余っているくらいとか。
事務局の方が応対してくれた。

小規模な避難所があると聞いて越喜来東区センターに行くと、
荷物の集積場所だった。
小さな集落の支援をしたい旨伝えると、ここから配送するので、ここにおいていってくれれば渡しますとのこと。
直接持っていった方がよいか聞くと、本部を通してこちらを紹介されると思うとのこと。
調味料を託して電話番号を聞き、次へ

本郷地区でぐるっと回って、人に聞くと、コミュニティセンターに避難中とのこと。
本郷地区コミュニティ消防センター22名避難
4名ぐらいのおじさんがおられた。
ちょうど、お風呂行き(釜石新日鉄近く)のバスが来ていた。
足りないものを聞くと、リストを見ながら確認してくれた。
足りない物品は本部に頼むと届けてくれるようになりつつある。
宅急便も届く。地区名は3つ、本郷、大曽根、桜峠。本郷が壊滅。
会長さんが対応してくれた。
回りの人も手伝いに来ていた。

旧尾崎小学校廃校に行くと会長他3人ぐらいの方が対応してくれた。
ここは、白浜と須佐地域の合同の避難所になっていて、地域全体400名がいた。
現在70名ぐらいが残っている。物品はお陰さまで足りている。他の避難所に使ってくださいとのこと。遠くから来てありがたい、お茶でも飲んで行ってくれと誘われ、コーヒーをご馳走になった。お風呂行きのバスも来ていた。
震災直後はみんなで家にあるものを持ち寄って炊き出しをしてしのいだ。
被災したその日の夜からご飯が食べれたとのこと。

室浜を目指し、進もうと道を入ると全面通行止めの看板。通っていく車に聞くと先に行けるとのこと。看板を横目に進むと、電気工事車両が道を塞いでいた。
電気工事優先のため引き返す。
逆の道から小枕を目指すと坂道のてっぺんに4件ほど残っていた。
近づくと、下の2件は浸水、右の家は家事で焦げ目あり、誰もいなかった。
火事も津波もあったようで、避難していた人も怖かっただろう。
坂を下っていく途中に、車一台。
お母さんと3歳ぐらいの子どもが乗っていた。
聞くと、おばあちゃんとお兄さんがここで行方不明になったとのこと。
家を見に来ていた。子どもにシャボン玉など渡し、その場を離れた。


team SAKE みつはる、さか、はかせ

編集:team SAKE 足立

4陣(お迎え組)が小渕浜へ ふたたび

第4陣の帰りのドライバー役に、第3陣リーダーのつよしが 向かいました。
(4陣お迎え組とでも呼びましょうか。)

京都の大工、ロバートさんが10日間、三陸方面へ向かうので便乗させてもらいました。

昨晩発ち、小渕浜を再訪問しました。その後、今晩の石巻ボランティアミーティングに出席しました。
つよし達第3陣は、前回、小渕浜で「朝出て行った鮭が、夕方に戻ってきた~」と、驚かれ、喜ばれました。
ですが、今回は、まさかのつよし出現で、目を疑われたそうです。

team SAKEとしては、4度目の訪問になります。

ちょうど風呂場を移動させようとしていたところだったので、ロバートさんたちが支援物資で持参していた、丸ノコやドリル、ノコギリ、バール、釘、トンカチなどはタイムリーだったらしく、大いに喜んでいただけました。
(さすが大工さん!)


そして、訪問を重ねたこともあってでしょうか。
津波にあった瞬間の体験などもお聞きするようになったそうです。
とてもつらいことですから、大切に聞いてくれる人がいるのは、大事なことではないかと思います。

team SAKEが大切にしたい、関係性を深めていくことが重要だと、改めて感じました。


京都組 team SAKE はるか

第4陣 4月19日報告、気仙沼、小原木(大沢)、唐桑半島、双六、六ヶ浦

朝4時くらいに余震、茨城震源。震度2ぐらいか。少しだけ揺れ感じ、夢の中。

気仙沼市内の整骨院、津波の被害を受けなかったところに泊めていただき、朝出発。
ガソリンスタンドに行き集落情報ゲット。
30人ぐらいの集落が近くにあると聞いて、向かう。

紹介を受けた小原木中学校へ行くと190人70世帯の大所帯が体育館に。四つの集落が集まり大沢地区という。行政は入らず自治形式で運営されている。
日中は働きに出て人は少なくなっているといっていたが、40~50人はいた。子どもとお年寄りが中心。
区長さんに通されたが担当の女性と区長の奥さんを紹介され、足りないものをお聞きした。

これから夏に向けて薄着の洋服が必要、とのこと。

他の団体で、チームサケと同じように必要なものを届けてくれるコーディネーターがいるらしい。電子レンジが送られてきた。
ただし、個人情報の関係で送り主がわからず、お礼ができない。
裁縫セットは、針を落としたり、そのままにしたりして危ないので入れていない。
なるべく多くのボランティアの名簿を作っている。これから支援が減ってくるだろうからしっかりと繋がれる所を確保しておきたいとのこと。馬場中山でも同じようなことを聞いた。
車がない。持っている人も荷物が満載で、他の人が乗れない。
自分達以外の他の地区がどうなっているかの情報はなかなかないとのこと。
奈良県の医療チームが直後から来て診療所をしてくれている。
ボランティアでマッサージや紙芝居を披露する方など来た。
男山酒造(被災している)からの支援物資の甘酒をご馳走になってしまった。
編み物セットの話をすると、やる方もおられるかもとのことなので、他の物資とともにお渡しした。


唐桑半島へ
やまがちで比較的被害が少ないが3箇所に50名ぐらいずついるらしい。
とりあえず半島の先へ
国民宿舎へ行くと、おふろが300円で入れるとのこと。
後ろ髪を引かれながら次へ。
なんと津波体験館を発見。 http://www.karakuwa.com/visitorcenter.htm

松圃集会所に対策本部の張り紙を見て寄ると、避難している人は公民館におられるとのこと。

中井公民館へ
支援の医療チームが来ていて体操を呼び掛けていた。
マッサージチームが後日来るための調整に来ていた。忙しそう。
調味料、みりん1ほん、調理酒1本とオキシドール180ミリリットル(はかせ私物)1本をお渡しした。
近くの酒屋で売っていたので、必要だとおっしゃっていた、だし醤油1リットル1本とフレンチドレッシング180cc1本を買って戻ってお渡しした。
近くで売っていること伝えると、「お金使わせてごめんなさい」と言われた。
とんでもない。と答え次へ。

岩井崎で宅配を頼まれた陸前高田双六地区の個人宅へ、

家の一階が浸水。独り暮らし。
伺うと岩手から息子さんがこられていた。
車はないが買い出しは近所の人に頼んでいる。
調味料等は足りている。
犬も飼っているので避難所から帰っているので、避難所に名前がある。
避難所から分けてもらえるのは、賞味期限間近のパンぐらい。
米はもらえない。

昨年、旦那さんをガンでなくされた。
遠くからありがとう、とのこと。

岩井崎のワカメ屋さんから預かった荷物を渡し、次へ。

悪路に入ったりし、 カーナビに悩まされながら進む。

六ヶ浦の方に助けられ、六ヶ浦に案内された。
本当に狭い道を抜けると六ヶ浦へ。
以前立ち寄った個人宅を訪れ挨拶。おばあちゃんは疲れて寝込んでいるとのこと。

お土産を渡し、避難所へ。15名ぐらい。
六ヶ浦避難所に行くと、「あー鮭が来たか」と代表者。野菜が並んでいる。
「調味料など、日持ちするものはありがたい。酒?あるの?あったらもらいたい。
冷蔵庫がないので日持ちするものしか受け取れない。」とのこと。
最後に、「酒とか持ってきてくれたチームシャケのメンバーだよ」とみんなに紹介をしてもらった。

避難所に調味料などの物資を渡し終了。


team SAKE みつはる、さか、はかせ

編集:team SAKE 足立

火曜日, 4月 19

第4陣 4月18日報告 岩井崎、三ノ浜(鶴ヶ浦)、気仙沼

馬場中山、
老人子ども、男衆、女衆と順番で食事をする規律正しい。
女性の坂も一緒に男衆と混じって食事。

代表者の男女は共に忙しそうで、余裕はなさそう。

調味料など必要なものを聞くと、「ドレッシング系が少なくなってきたのであれば」とのこと。刻一刻と変化している。電信柱が近くまで来たのであと10日ぐらいで電気が来るかもとのこと。

お世話してくれた方いわく、音楽があると良いが避難所ではそういう雰囲気ではない。電気が来たらパソコンの古いのでもあれば、音楽やDVDができる。インターネットの気象情報がもらえて嬉しい。とのこと。ただ、電気は来るが通信はわからないとのこと。情報担当に支援物資の一覧を記入することを依頼された。無償有償の丸つけもあった。会長の名刺もできていて中山契約会会長。馬場中山のホームページありとのこと。

馬場中山はなれ、空き地で荷物の整理。ガソリンの移し換え。
もの情報の把握は重要。
天ヶ沢を回ると無事な家、壊滅の家があり、支援先を上手く見つけられずスルー。
今思うとそこの人に声をかければよかったと後悔。
全壊の家の整理をしていた人しかいなかったが、、、
農協(はしかみ)階上経済店によって情報を聞くと岩井崎が支援にいいのでは?とのこと。

前回行った場所に挨拶がてら向かう。
民宿崎野屋に寄ると、避難していた人もだいぶ自宅に帰り崎野屋に避難している残りは2名。少し落ち着いた。
水道も電気も復旧がまだだが復旧したら民宿再開したいので泊まりに来てくださいとのこと。
玄関に防災バックがあり、余震を警戒しているのがうかがわれた。
続けてワカメ養殖のお宅へ。

チームサケを名のると寄っていけとのこと。
本震より4月7日の余震によって家屋の被害が出たとのこと。
「石巻では支援物資のガソリンを売っている人がいたらしい。」
いろんなボランティアが色々来るけど聞くだけでなにもしてくれない。
ちょうど、自衛隊も聞き取り調査に来ていた。情報収集と治安維持が目的のようす。
三ノ浜に親戚がいるとのこと。
陸前高田にも独り暮らしの親戚がいるとのこと。荷物を託された。
支援物資のパンが余っていて、持っていって配ってくれとのこと。
断り切れずに受けとると賞味期限切れも混じっていた。
ワカメを持っていけ、と言われ5袋仕入れさせていただきました。
みんな買ってね。
すぐ隣に残骸置き場ができて臭いのが集まってくる。他は臭いがなくなるが、ここは臭くなる。
2年後にはワカメ養殖再開 したい。そうしたら京都で売ってくれ。
現在漁業権がない、県にかえさせられた。

三ノ浜の鶴ヶ浦へ、海面すれすれの道を進むと鶴ヶ浦についた。
紹介を受けたおばあちゃん92才と奥さん2人の家は車がなく買い出しの難しい家だった。調味料や下着など喜ばれた。たまたま隣の家のおばちゃんが来て長靴など欲しがられた。サイズなかった。調味料など提供。
ワカメ養殖家の親戚の固定電話しか知らず連絡がとれなかったが、聞いていた携帯を伝えると感謝された。
避難所のことを聞くと避難所には物資は足りているのではないかと話してくれた。
気仙沼に息子がいて、一階の被害があり二階に住んでいるので、是非長靴をあげたいとのこと。
とりあえず、よることを決めて、別れた。

鶴ヶ浦生活文化センターの避難所にいくと、数人がいた。
避難所は30人ぐらい、他にご飯食事のみ来る人もいる。
油、醤油、味噌、ダシ昆布、梅干しが欲しいと言われ、差し上げた。

追加で京都のお茶、子ども小学校の5年生女の子へお菓子少々をあげた。
少し話して欲しいものを聞くと、気の良いおじさんがポンポンいってくれた。
あう服何でもよい。

チリ地震でも津波にやられ、今回被害者は出なかったが、やっと復興してきたところなのに、、、。当日夜は2晩ぐらい海に流れた油が燃え火の海。プロパンガスのボンベの破裂音が爆弾のようで怖かったとのこと。
話してくれたおばちゃんに手を握って頑張ってと伝えると、ありがとうと涙をにじませた。

満潮になると帰れないときいて移動。
途中海水があり、ドキドキ運転。
なんとか越えたさきに反対車線に車の渋滞?
潮が引くのを待っていると。
あと1時間で引くとのこと。
水深15センチぐらい無理すれば通れるが潮につけたくないらしい。
しまったー。

気仙沼の南郷の気仙沼警察署近くのお宅へ
避難所から帰ってきて家を家族総出で掃除中。父・溶接職人引退2年前にイカ釣り漁師開始、お母さん、娘は東京のJR勤務休んで駆けつけた。孫4才。その他一人職人が家のメンテに来ていた。買い出しできる位置なので少量タオル、長靴、パン、塩えんどう豆など渡して話していると一緒にいたお母さんが潮に使ったなら車を洗ったらと言ってくれて、おめえら汚れることないやってやると洗車をしてくれた。お礼にお酒を渡すと泊まっていけと言われ、断ったが、おめえらと酒のみたいと熱くおっしゃるので、(既に酒帯び)、繋がりで泊めてもらうことに。

食事もごちそうになり、宿は娘さん夫婦の経営する整骨院の治療室で泊めていただいた。
とってもよくしていただき、京都からボランティアで来てくれる心が嬉しいといっていただきました。全国でバックアップしてくれている100人を越すメンバーの代表としてきている旨伝えました。


team SAKE みつはる、さか、はかせ

編集 team SAKE 足立

月曜日, 4月 18

第4陣 4月17日報告 牡鹿半島、小渕浜、馬場中山

初日からの報告です。
夜、(石巻線)渡波駅着。
トイレメチャクチャ汚く詰まって使えず。駅の回りには何台か車泊の人がいた。
汚く使えないのは避難所から帰ってきた人や私たちのような県外からの人のせいか?
急遽、牡鹿半島入り口近くの山あいの道路沿いで泊。
回りに人がいないので早起き気にせずすむので逆に良かったか。


朝7時移半動開始。
牡鹿半島に。
通りすがりのおばさん(沢水でお米を洗いに行くところ)に聞くと、集会所の避難所はひとまず解散。家に帰った。家が片付き始めスペースができたからかな。
そして近くの小学校で避難していた人がその集会所に移って来るらしい。
それぞれ家に帰り生活が始まったが配給は足りない。孫がおかわりして良い?に答えられない。
石巻では石原軍団が来て炊き出しされてるようだが、あの焼きそばは回ってこない…
集会所に簡易トイレはある。
区長が近くの小学校で会議しているからそこに相談してください。とのこと。
3時に集落で集まってお茶するとのこと。
とりあえず、『集落で集まった時に食べてください』とみかんを差し上げ、おばあちゃんの孫向けお菓子を差し上げた。仕方なく小学校で対策本部の会議している区長のところに移動を決め、最後におばあちゃんの名前を聞こうとしたところ、○○さん宅の紹介を受けて訪問。
小学校に行かずに良かった。キーパーソンには、まずコンタクトが必要と実感。

すかさず、チームSAKEであること、トイレを持ってきたこと等を伝えると、「諦めてた…」とのこと。

「トイレ、助かる~。」
『避難袋はこんなのしかないのですが…』と伝えると、「十分。ありがとう。」とのこと。

中の支援物資を見てもらうと、瞬時に「酢もらえる?買い出しに行きたいけど…、車の運転も怖いし、行く気にならないの」とのこと。震災時、石巻にいて、途中ヒッチハイク(みんなが乗せてくれた)しながら、数十キロを帰ってきたとか。
それでも20キロは歩いて帰ってきたとか。
支援物資にバドミントンも見つけ、隣の娘さんにあげるとのこと。
最近電気が通ったらしい。誰でも使えるように携帯充電場所が作られていた。
電気が来て間もないので、暗くなっても電灯を点け忘れるとか。
控えめに「携行缶は無理だよね?」と聞かれ、『待ってました。10リットル缶ですがどうぞ』と渡したら、とても喜んでいた。

最後に記念撮影。
「お茶出したいけどごめんなさい」と言われ、気持ちだけで嬉しい。


小渕浜へ
小渕浜周辺の破壊された間を通っていくと目的地周辺で作業している人発見。
京都ナンバーでわかったのか、「社長の家はあそこー」と返してくれた。
社長の家の前に着くと社長含め数人が作業していた。仮の家を建てているとか。
現在、建築基準法の関係で家が勝手に建てられないとか。
チームサケを名のると「よく来てくれた。何持って来てくれた?」と聞かれた。
酒、調味料、タオルなど渡し、発電機の代わりにインバーターと延長コードを渡すと喜んでいた。


 小渕浜はとても寒く、腹巻帽子も感激され。みんなに渡した。
編み物セットも渡し買い取りの話も少し触れると興味ありそうだった。
シャケは4年後に戻ってくるからそれまでに編もうかしら。

つよしくんによろしく。とのこと。


前谷地で荷物ピックップ。
みこちゃん。
即席ワカメスープ30袋をお母さんから預かったと渡してくれた。
関西人めちゃテンション上がるー。とのこと。

調味料買い出し、手押し車買い出し。


馬場中山へ
手押し車の●●さん、5日前に救急車で運ばれ入院中。
◎◎ちゃん、学校始まるので親戚の家へ移っていなかった。
お父さんにあえて、聞くと、届いてると思う。とのこと。
夕食、露天風呂(男性のみ)、夜のバー飲み会、でもてなされ、就寝。

引き続き来てくれるのが嬉しい。
最近物資も減りつつある。
人が変わるとわからん。
京都の生活は?
2年の仮設住宅より地元にプレハブ建て、補助金もらえた方が長く使えるし、地域の繋がりの中で生活できるので嬉しい。
原発のこと、これからの海の仕事に対する不安感。など聞いた。
博士のキャラは、いじられながら好意的に扱われていた。

朝旅立ち直前
最後に調味料で必要なものを聞くと、ドレッシングがあれば、、、、と言われ、持っていなかった。


現在次にむけてシェアと準備中。
三人とも元気です。


team SAKE 川手光春

編集:team SAKE 足立

日曜日, 4月 17

team SAKE 第3陣 報告会

みなさま (※転送歓迎です)


急ではありますが、被災地より第3陣が無事に戻りましたので、明日の晩に報告をする場を持ちたいと思います。

お時間の許す方はぜひお越しください。

今回は、現役大学生の湯谷智さんと 阪神大震災の時も現地でボランティアコーディネートをしていた三枝剛さんの二人がメインで活動してきました。


日 時:2011年4月18日(月)18時半オープン 19時スタート 21時まで
場 所:京町家さいりん館 室町二条上ル東側 
    http://www.sairinkan.com/
    京都市営地下鉄烏丸線「丸太町」駅6番出口から徒歩4分。「烏丸御池」駅2番出口から徒歩5分。 
参加費:会場費としておひとり300円お願いします。
    ※さいりん館さんから全額カンパをいただくことになりました。
報告者:三枝剛、湯谷智
連絡先:070-5650-0769, dandelion869(あっと)ybb.ne.jp (大関はるか)
    申し込みは不要です。

team SAKE はるか

◆team SAKE(鮭)◆
http://teamsake.blogspot.com/

team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。

第一陣が、馬場中山集落で鮭の塩漬けのお頭を頂戴したことが、活動のはじまりだったこと、鮭はまた戻ってくることから命名しました。

第4陣 牡鹿半島 小渕浜

第4陣の川手みっちゃんから連絡がありました。

牡鹿半島では、塩・醤油・酢・砂糖・油などの要望が高まっています。

近々小学校が始業するため、小学校に避難されていた方が移ってくる影響で、自宅に戻られる方が増えています。
そのため、これからは自宅で各自が調理するために、調味料が必要となってくるということのようです。

人数の多い集落で、一軒一軒物資を渡していくことは、team SAKEが現在対処できる範疇を超えています。現在準備中の支援プログラムを使えば対応できるのか、少し話し合う必要があります。

石巻にいけば物流が回復しているのはわかっていても、運転が怖くて行けない、という人もいるようです。

小渕浜集落では、今のところあまり問題はなさそうです。みっちゃんは社長とメアド交換していました。自分たちで家を作っていくとのこと。

第4陣は石巻で物資を調達した後、馬場・中山集落へと向かいます。


team SAKE 足立

13日から15日に帰ってくるまで

13日には、前日に牡鹿半島を訪問したときに聞いていたニーズに応えるべく、牡鹿半島の小渕浜を再訪した。
社長さんが見せてくれたのは、手作りの薪で湯を沸かす仕組みだった。
流されていたステンレスの湯船を使って、下から大きな薪を焚いて湯を沸かし、部屋の中にある湯船にホースで湯を入れるようにしていた。
薪は周りにいくらでもあるけど、大きすぎる物をのこぎりで切っているが、電気チェーンソーがあれば助かるという話だった。
震災後手に入れた発電機があり、少し電気が使えるのだ。
その晩、石巻のホームセンターに売っていたチェーンソーとリンゴを買って持って行った。
社長は喜んで写真まで撮らせてくれた。

奥様は、私たちの再訪を心から喜んでくれた。
車中で泊まっていると言うと、何度も是非泊まっていってくださいと私たちの健康を気遣ってくれた。
私たちもうれしいし元気をもらった。

牡鹿半島には女川原発があり、その周辺の小集落は孤立している可能性が高く気になっていたので、車や人が入れる限り隅々まで調査した。
原発の中を通り抜けると行けるかもしれない小集落もあったが、原発の警備厳重な入り口で門前払いをくらった。

馬場中山集落には、前回訪問した時にリクエストがあった震災に関する法律相談のQ&A集をネットで見つけたので、それを印刷した物を渡した。
team SAKEがきたということで喜んでいただき、是非泊まっていきなさいと勧められた。
どこで寝ていたのかと聞かれ、車で寝ていましたと言うと、被災者よりひどいじゃないかと言われ是非泊まっていくようにとさらに勧められた。
何度もお断りしたが、もう泊まることが決まっているかのようにとんとん拍子に話が進み、何度もお断りしたが、結局はご飯と飲み物をありがたく頂き、一晩泊めていただいた。
夜に火を囲み飲みながら話していた時のこと。
「もし今度関西で地震がきたら、ここから10トンの船に物資を満載にしていくから」と言われた時は胸がいっぱいになりうれしかった。
京都だと舞鶴港だから遠いかなとか、10トンじゃ少ないだろう、とか皆さん明るくつっこみをいれあいながら笑いがたえない会話が続く。
皆さんの明るいもてなしが心にしみた。
これだけの現状の前に前向きに乗り越えていこうと力を合わせている姿は、何か美しい。

14日は、前日馬場中山で9時に消灯なので早寝していた関係で4時には目が覚め、6時には移動し始めた。
第二陣で訪れた岩井崎避難所に伊予柑やレトルト食品、米などの支援物資を届けた。
この民宿では、第二陣のメンバーがデジカメを落としていたのを保管してくれていた。
この日は仙台経由で福島まで移動なので、午前中のうちに石巻に引き返した。

帰ってきてこれを書きながら気づいたこと。
実際に余震が大きかったし(滞在中震度5以上かと思う余震が3回あった)、毎日小さな地震の揺れを体感していることもあり、自分が大きな恐怖感を持っていたことを自覚している。
1つには原発の目に見えない恐さをはじめて実感した。
今は大丈夫でも、石巻の近くにある女川原発、ずっと危険な状態が続く福島第一原発で、万が一の事が起こると自分の命だけでなく仲間の命が危険にさらされるということに、大きな恐怖を感じた。
2つめには同じチームに学生の仲間がいて、彼に万が一のことがあったらと思うと第三陣リーダーとして更に重く責任がのしかかってきた。
大きな余震が頻発していることと原発の危険が二つあわさると私の中で恐怖感がいやでも沸き上がってきたのだ。
この責任感と恐怖感は私を緊張させた。
現地の方の大きな余震と原発への心配を痛感した。
すさまじく破壊された街の現実と緊張感で心がおれそうになるのを支えてくれたのは、現地で出会った方の笑顔やつながりだ。
もちろん、仲間のサポートも大きい。
いろんなつながりに心から感謝したい。

第三陣は、15日に無事京都に帰ってきました。
色んな形でサポートしていただいている皆さんのおかげで、すでにこちらで報告させていただいているように、かゆいところに手が届く活動が出来たと思います。
ありがとうございます。

18日(月曜日)の夜に京都で報告会を予定しています。

team SAKE つよし

土曜日, 4月 16

第3陣戻りました。第4陣出発しました。

こんにちは。
第2陣、現京都組のはるかです。

第4陣が先ほど無事出発しました。

お知らせが遅れましたが、第3陣は昨日の朝、夜行バスで京都に無事戻りました。
福島市で借りていたレンタカーを返しましたが、急きょ変更が可能でしたので、大学生のユタには、仙台市から乗車してもらい、
つよしは、同じバスに福島市から乗車しました。
(余震が多く、福島原発の心配があるための判断です。)

二人は、行く前日に初めて会ったのですが、すっかり息を合わせ、とても信頼し合って戻ってきたように思います。
集落での様々な出来事、おもしろいこと、つらいこと、力強いことなどを少し聞きましたが、第4陣への引き継ぎのため、
(月曜日の晩に京都市内で報告会をする予定です。)

昨日は、第4陣の準備に大変な一日でしたが、これまでの3回は、人手も足りなく、毎度、後方支援の京都組は夜を徹しての作業でした。
今回は、日付が変わる頃にはほとんどの作業を終えることができ、多くの方にマンパワーとして関わっていただいていることの大きさを改めて感じました。
ありがとうございます。

ちなみに、この土日は事務的な作業が多いです。パソコン作業などが得意な方、歓迎します。
ホームページの充実と、全国のみなさんが直接的な支援がしやすいようなプログラムの運転の開始ができるようにがんばります。

ボランティアのMLがありますので、情報だけでも受け取りたいという方は、お知らせください。
teamsake311(あっと)gmail.com


team SAKE はるか

金曜日, 4月 15

寄付金・会計情報

多くの方々から活動資金のご寄付をいただき、ありがとうございます。
平成23年4月14日現在

現在寄付等合計 1,429,317円

内訳
第1陣繰越金 32,281円
寄付金
手渡し現金寄付 483,771円
ゆうちょ銀行入金寄付金 4/11 12:00現在 合計 913,265円

会計報告等も行っていく予定です。
ありがとうございました。

4月15日現在の支出確定分です。
第3陣の現地での活動費の一部は、
現時点では含まれて下りません。
支援物資購入 373,833
保険      11,000
装備      85,510
燃料      68,281
活動資金    211,100
合計    749,724

team SAKEの活動を紹介したメッセージ

被災地に自ら赴き、なにか復興につながる活動を現地でしたいけれどどう踏み出してよいか。途方に暮れている。アドバイスがほしい。という後輩からメールがありました。
足立の返信を紹介します。

投稿:team SAKE はるか

※※ここから※※

足立です。お久しぶり。佐渡以来ですね。元気にしてた?


早速ですが、僕らは現在三陸の小集落を主な対象とした活動を行っています。活動名は、ある集落の方々から「team SAKE」と名付けられました。(鮭はまた戻ってくるため、一方通行でない、かつ持続的な支援のことを意味します。酒ではない)


僕自身も第1陣、第2陣で2回現地を訪れました。

最初に行ったときは、車でたどり着けない集落を目指して瓦礫やヘドロの中を自転車担ぎながら行ったのですが、現在はほとんどの集落では生きていくのに最低限必要な物資は確保されており、石巻のスーパーなども営業を再開しているため、これからどのように立ち直っていくのか、が課題になりつつあります。

その一方で、未だに水すら満足に手に入らない集落もあります。

状況は日毎にものすごい速さで変わっており、三陸の広大さ・多様性から、場所によっても全然違います。


我々は、「現地で何が必要か」を探り当てて、全国に発信し、可能な人から支援(物資だけではない、人材・情報等色々含む)を集めることにしています。

そのことを、「つながりを作る」と呼んでいます。

活動を続けていく中で、特に小集落の場合、一方的に外から「援助」するのではなく、双方向の関係を築きながらアプローチしていかなければ、支援に必要な情報すら満足に聞き出せないことがわかってきました。

だから、避難所で酒を頂きながら話し合うこともしばしばです。

そんな感じです。


次の「第4陣」は16日(土)に出て22日(日)に帰ってくる予定ですが、GWを挟んで第5陣、6陣、7陣くらいまでは入れ替わり現地入りする予定になっています。

○○もよかったらどうですか。

理念的・理論的な部分をまだアップしていないですが

http://teamsake.blogspot.com/

を見てくれると、現在具体的にどういう動きをしているのか、少しはわかると思います。はたから見ると、今のところ物資を運んでいるようにしか見えないかもしれませんが。

事務局のメールは

teamsake311(アット)gmail.com

です。


最後になりましたが、アドバイスは「僕らの話し合いに参加してみて、一緒に活動するか、そうでなくてもとにかく現地に行ってみる」です。

よろしくお願いいたします。

木曜日, 4月 14

第4陣の出発に向けて

今晩はミーティングが同時進行でいくつかあります。
 (このブログも遂に!整理されるはずです・・・。)

明日は一日、買い出しと整理などの準備があります。

遠くの方でも、集落へ直送していただけるような状況になってきましたので、それらをアップするようにいたします。

議論に参加したい、準備を手伝える、現地へ直接行きたいなど、ご相談はsakeメールまで
teamsake311(あっと)gmail.com


明朝は、第3陣が戻ってくるので、報告が待ち遠しいです。
報告会も開くと思いますので、またお知らせいたします。


team SAKE 京都組 はるか

第3陣 小渕浜、小屋取、韮の浜、馬場中山、岩井崎

第3陣と連絡が取れました。

13日は、要望のあったチェーンソーを届けに、再び小渕浜集落へと行きました。

その後、女川町の小屋取集落を訪れました。ここの避難所は毎日2回補給があるそうです。お酒だけをお渡ししました。

その後、先日お渡しできなかったジャージを届けに、韮の浜集落を再訪しました。

そして、馬場・中山集落へ2度目(team SAKE通算で5回目)の訪問を果たし、保険に関する法律関係の資料をお渡ししました。ここでは夕飯とお酒を献められ、断り切れずに泊めていただきました。

team SAKEの基本方針として、原則的に自分たちのことは自分たちで行うことで、なるべく現地に負担をかけないように心がけております。しかしそれは行き過ぎると、現地の方々との関係が単に「支援する側」と「支援される側」という一方通行のものになってしまいます。
被害が甚大であった三陸地域ですが、だからといって「被災者」「被災地」という側面しか見ないことは、その方々の人間としての多面性をも見ないことになります。
はたしてそのようなやり方だけで、力になれるようなつながりを築くことができるでしょうか。
これは私たちも実際に現地の集落に入り込んでいくまでは中々想像ができなかったのですが、馬場・中山のように特に元気な集落の場合、時には「支援」という枠を越え、逆に有り難くお世話になることも、双方向のつながりを築く上で大事な要素である、とteam SAKEでは考えています。

現在、馬場・中山集落では仮設住宅の建設へ向けて話し合いが行われているようですが、これについては後ほどお伝えできたらと思います。

14日は気仙沼市岩井崎集落の避難所となっている民宿を訪れ(第2陣でも訪れたところです)、物資をお渡ししてきました。

第3陣の現地での活動は、以上をもって本日終了いたします。三枝(つよし)・湯谷(ユタ)両名とも、今晩の夜行バスで明朝には京都に帰って来る予定です。

二人とも、お疲れさまでした。

報告:team SAKE 足立

心がつながる

現地で頑張る決意をし自分の家に帰ってきた人々は、非常に前向きだ。
その姿に感動すら覚える。
勇気をもらう。

海をみるのが、怖い、憎いと遠くに避難した息子が帰ってくるのを信じて、この地で頑張ると宣言してくれた親父さん。チリに前回に、今回で三度目。今までも乗り越えてきた。今回も失ったものは仕方が無いが、前向きに生きたいと話してくれました。
夫婦してお酒を大喜びしてくれました。

カキやワカメを養殖していた、社長さん。その集落の男衆は、船全艘を津波の直前に海に出して津波を乗り越えて仙台に行き、船を守りました。旦那さんが無事に帰ってきてホッとしたと奥さんが教えてくれました。
一艘も転覆させなかったプロの漁師の誇り。
しかし、社長は帰ってきたときに見た破壊された町の現状に驚いたといいます。
せっかく船を守ったのは何だったのか。
町や自分の家が破壊されてしまった。
さらには、この先復興させてもこの地のカキやワカメは売れるのか?
色んな不安がある。
だから色んな情報が欲しいと。
原子力発電所のこと。流通のこと。ラジオだけでは、よくわからない、生きるために必要な情報が欲しいと。

色々話していたら最後には、よしやってみようという気が出てきたと力強く語ってくれました。
風邪でやられていた私はこの言葉で元気をもらいました。
もちろん、お酒は大歓迎されました。
お酒だけでいいからこれを持って何度も来てと。笑

奥さんは、身内の1人がまだ行方不明だと涙ながらに語ってくれました。
そんな状況だから、避難所にも出て行きたくないと。
しかし、わざわざ京都から来て頂いて本当に嬉しいと、何度も何度もお礼を言われました。
気がついたらコーヒーまでいれてくれていました。
何度もお断りしたのですが、お菓子まで出して頂きました。
車まで帰る私達を最後まで見送って頂きました。

本当に現地の現状は、破壊されつくしていて悲惨です。
そんな中、直接会いにいき、対話し、つながりが生まれています。
チームサケの役割は大きいと思います。
心がつながると、お互いが元気になります。
私自身、温かい気持ちが胸に残り、悲惨な現状に心が痛いのを乗り越えることができているのだと思います。
こちらこそ、ありがとうございます、といつも伝えています。
またこの地に戻ってきたいと思います。

team SAKE つよし

現地

胸がつまる。
声がでない。

南三陸に最初に着いた時、自分の人生ではじめて胸がつまった。

あまりにも酷い現状に、凄いとか凄まじいしか言葉が出なかった。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

そんな中私達は一陣二陣が作ってくれたつながりを頼りに、現地に必要とされている物を手配して持って行くことができた。
さけがかえってきたと喜んで頂けた。

孤立集落がありそうな場所を、毎日事前に足立くんが調べてくれているおかげで、ピンポイントで小集落に出会えている。
小集落は、避難所を出てやっぱり自分達の家がいいと帰ってきた人が多い。
どこでも、京都からと聞くとそれだけでびっくりされ、喜んでくれました。
さらに、チーム名は、鮭のようにつながりを大切にして、何度も帰ってきたいと伝えたら皆さん笑顔で喜んでくれます。
顔の見える関係で話すので、色々話してくれました。

小集落を鮭のように何度も戻りながら、物資だけでなく、顔の見えるつながりをもち、自立のために必要なお手伝いをしようというのは大切な視点だと思います。


team SAKE つよし

水曜日, 4月 13

第3陣 4/12 牡鹿半島

第3陣から報告がありました。

本日4月12日は、まず牡鹿半島の狐崎浜集落を訪れました。
現在28世帯、100人ほどが暮らしています。

ここは「津波が来ない」という言い伝えがある集落ということですが、今回の震災ではここも被害にあってしまいました。
必要なことをお聞きしたら、屋根瓦の付け替えをしたいのだが、既に何百件も予約が入っていて、しばらくできそうにないとのこと。他にも大工さんとか、散髪とか、言い出したらきりがない、再生へ向けて法律関係の専門家に相談できないだろうか、などのお話を伺いました。
また、ここには汲み取りが来ないため、トイレの衛生状態が気になるそうです。

次に、小渕浜集落を訪れました。元々牡蠣とワカメの養殖をしていたところです。
ここの住民の方は近くの大規模避難所で生活しておられたのですが、自分たちのところを復興させていきたいと、20名ほどが自宅に戻ってきて生活しておられるそうです。

ここは漁村なのですが、地震の後には50名ほどの漁師が全員沖に出て、津波から船を守りました。しかし、陸に帰ってくると家がボロボロになっていてショックを受けたそうです。
ここでは、自家発電で電気を賄っています。

あるご夫婦は、被災した自宅の一階に薪風呂を作りました。


チェーンソーさえあれば、瓦礫の撤去なども含め、こういった作業がだいぶ楽に進むということなので、ここの集落の復興には欠かせない物資であると判断したteam SAKE第3陣は、明日さっそくお届けすることにしました。

現地では外部の情報が手に入りにくいようです。原発に関することや、どこまで流通が回復しているかなど、生きていくのに必要な情報をもっと知りたいということでした。

京都からサケがやってきたことは大変喜んでいただけたようで、
「まだ親戚も見つかっていないけれど、本当にうれしい」
「これからちょっと頑張ってみようかな」と言って頂けました。

第3陣は、現地の集落の方々との間に、つながりを築くことができているようです。


報告:team SAKE 足立

11日の報告です!!

11日


朝から買い出しに近くの大手のスーパーへ行った。
南三陸から小一時間で着くスーパーだが既に品揃えは被災地とは思えない程に回復している。

車とガソリンさえ有れば南三陸の方々も自力で買い出しに行けそうな感じだ
この情報を共有し合うだけでも被災地の生活は大きく改善されそう…というよりもそうあって欲しい。
自力で活動するという事が重要になってくるが、その可能性が大いに見えてくる被災地だった。




保存食を買い出し雄勝へ向かう。

途中、海沿いを走行していたがやはり被害は大きい。
山を8~10m程登った所まで津波が来た形跡がある。
沿岸部の家などは全て飲み込まれてしまっている…凄まじい光景が続く

沿岸部を抜けて谷の奥の方へ進むが被害の大きさは変わらない
海から離れた海の見えない3方を山に囲まれた地区は壊滅的な被害だった…津波の恐ろしさを肌で感じた


瓦礫の中半島の先へ向かう

一つの集落、船越集落を見つけ、調査を開始するとすぐにその地の方にお会い出来た。
その方は家が残っており避難所へは行っていないということだ。同様の方がその集落に10名ほどいっしゃるらしい。

集落に残っている方の話を聞くと、この集落に残り復興させるとのこと…とても力強い言葉を聞くことができた。
その方の息子2人は既に仙台に避難されている。息子は「海が怖い、憎い」と仰っていて、集落には帰って来たくないらしい。
しかし、集落に残っている方々は「その様な集落に戻りたくないと言っている人達がいつでも集落に戻って来れるように復興させないといけない…」その様に決意を固めておられる。
かなり心に染みる言葉だ。復興に向けて前向きでしかない…嬉しい事だと私は思う。

是非ともこの様な方を支援したいと思う。

その後桑浜へ向かった
桑浜にも同様の集落があった…ここでも避難所には避難せず自分の家で暮らそうとしている。様々な事情が有りそうだ…

いずれの集落でも電気が足りていないとの事
しかし、集落周辺では既に東北電力が懸命の復旧作業を行っており、もうすぐ電気は復旧しそうだ
電気が来るだけでも被災地の生活はかなり改善される。徐々に改善しつつ有ることが実感できる。


その他の集落をまわり、報告をしている最中余震が被災地を襲った…
後で確認すると震度6弱


地震後、消防車がサイレンを鳴らしながら津波警報発令を知らせていたため慌てて我々も避難した。あのサイレンに気づかなければと思うと少しゾッとする。幸い津波は来なかったものの、被災地の方々はその恐怖と常に隣り合わせだと思うと…

そんな事を身をもって思い知らされた1日だった。
正直怖い…けどそこにもっと怖いおもいをしている方、もっと困っている方がいると思うと活動を止める訳にはいかない。

夜、地元の方が話しかけてくれた。色々と日常の話から、地震の話、関西の話をした。楽しい一時だ…この緊張の糸が途切れる一時が無ければ私達は心が駄目になってしまいそう。自分たちの為にも、現地の方々の為にもこういう一時を大切にしたいと思う。

1日の最後に楽しい一時を過ごすことが出来た…


team SAKE ユタ

月曜日, 4月 11

第3陣 雄勝半島

第三陣(三枝、湯谷)から報告がありました。
(伊東は昨日の晩に一足早く現地を離れ、先ほど無事京都に戻りました。)

今日は石巻市雄勝半島の集落を目指しました。
涌谷から北上川の南岸を通って被害のひどかった釜谷地区をす
ぎ、まずは雄勝半島の船越集落に入りました。
多くの住民の方は昨日から大須小学校に集団避難したとのこと
ですが、それでも5軒・10名ほどの方が集落に残っておられ
ました。あるご夫婦の子供は「海を見るのも怖い」と仙台に避
難しましたが、「自分たちがここで頑張れば、いつか子供たち
も戻ってくる」と、集落に残る決心をされたそうです。
電気が通じておらず、果物、野菜などは不足気味だが、生きる
のに必要な物資は足りている、とのことでした。
味噌、梅干し、京都の酒や八つ橋をお渡しできました。

次に、半島の先のほうにある桑浜集落を訪れました。
ここは子供3名を含む15名ほどの方が残っておられるそうで
す。味噌などをお渡しすることができました。
給水車は毎日来ているそうですが、ここでも電気は通じていな
いとのこと。
おばあちゃんに尋ねると、余震が多いのがとにかく不安で、夜
に電気もなく真っ暗な中を余震に襲われるのは、怖くて仕方が
ない、と涙を浮かべながら話してくれたそうです。
そういう話をお聞きしている最中にも余震がありました。
集落へ向かう県道沿いでは、電気の復旧工事が行われていまし
た。

明日は牡鹿半島へと向かいます。

報告:team SAKE 足立

4月9日~10日の報告 

9日10時福島に入った。
地震の爪痕はあまり見当たらない。
福島駅周辺の店は通常営業をし、日常を取り戻しつつある

…ただ、街にはあまり活気がないようだ。やはり、原発の影響が出ているのだろうか…街の雰囲気が少し気になる所だ。


福島を出て石巻へ向かう


9日午後石巻に入った!!

町の入口にはそれほど津波の爪痕は無く日常の生活を送っているようです…
テレビで見るような光景は無く少し安心!!


しかし…町を進むにつれて道路の色が変わり水気を帯びてくる
町の至るところに泥が積み上げられている光景が出てきた…まだ、残骸は見当たらないが着実に爪痕が確認出来るようになる。

道路脇には瓦礫が目に入ってきた…道端では直径1m程の丸太が転がり、車が流され家に突き刺さり、材木が大量に流れ着いている。浸水した家具が至るところで目に入る。人の日常の生活が一瞬にして消えたことが手に取るようにわかる。

そんな光景の中を進みながら四万十塾の本部を目指す。

途中運動公園の横を通ると、野球場・サッカーコートがテントで埋め尽くされている
自衛隊だ!!
かなり大規模な自衛隊のベースキャンプが設置され活動が行われている
さすが10万の自衛隊を送り込んだだけあり街には自衛隊が数多く目につく!!自衛隊はかなりの機動力を持って活動しているようだ。

途中、四万十塾の車に出逢い、無事にベースキャンプに到着した。
京都から持ってきた支援物資のガスボンベとコンロを降ろす。ボンベは実際に降ろしてみるとかなりの量に思えた。微力ながら避難されている方々の為になればと思う…。

ベースキャンプに到着したのが丁度炊き出しの時間に重なっていたため、炊き出しの現場に行くことになった。近くの中学で炊き出しを行っているようだ

炊き出しの現場に到着すると、ボランティアの数名が大量の炊き出しを行っている。彼ら彼女らは、つい先日知り合ったばかりらしい。それでもかなりのチームワークをもって動いている。同じ意識を共有し合うだけでこれ程まで活動出来るのかと改めて感心させられた

ただ、現在では避難されている方々が炊き出しの現場で中心となるまではいっていないようだ…避難されている方々が中心となって自律して避難生活を送れるようになればと思う。いつかその日が来るんだろう…


9日は荷物の積み降ろしと現地視察だけで大半の予定が終わり、余震の続く中1日を無事に終える事が出来た…


10日朝5時起床
清々しい朝を迎えた。被災地にいるとは未だ実感がわかない…


これから馬場中山へ向かう

馬場中山へ向かう途中南三陸の街を通る。
家がない…
船が陸にある…
鉄筋コンクリートの建物も津波の被害を受けている…
町の防災センターは鉄筋が残るだけだ…

石巻の市街地とは比にならないほどの被害
この場所に一つの街があったとは思えないほどの光景がここにはある。

あまり長期に滞在すると自分がやられてしまいそうな空気が流れている


市街地を通り抜け、馬場中山へ向かう。


道路脇に何か看板が立っている…「水・カップラーメン求む」
被災後一ヶ月経った今生存に関わる物資が行き渡っていない…衝撃だった。街が復興しつつある一方で命が保証されていない。復興の度合いにかなりの差がみられる。

とりあえずはその集落に立ち寄り手持ちの水を渡すことにした…ペットボトル3本がかなり喜んで頂けた。それほどまでに緊迫した状態だったのだかと思うとゾッとする。
この集落は11日以降灯油は定期的に配給されるみたいだ…エネルギー的には一段落しそう。しかし、食料面では地区の本部にも水が無い状態であるらしい。かなり緊迫した状態…

今手持ちの物資で降ろすことの出来るものは全てその集落で下ろし馬場中山へ向かう!!


馬場中山の集落へ到着

「チームサケです」と言ったところ「サケが帰ってきた」と喜んで感激していただいた!密な関係を持っていたからこその対応だと思うとチームとしての存在意義を感じる事ができた。
馬場中山の集落はとにかく元気だ!!
長がしっかりリーダーシップをとり集落をまとめ
集落の方々は自分たち自身の役割をもってきびきびと行動をとる…日本人のよさをひしひしと感じられる光景だ。また、昔からの集落の良さが残っているのがとても印象的だった
「日本は強い」被災地を見てそう思えた。

「必要なものはありませんか?」「今のところない」
「人手は必要ないですか?」「ない」

素晴らしい答えだと自分は思う。自力で復興しようという兆しだろう。
必要であれば連絡をくれるという…私達は必要ないというのが一番望ましい


私達は今のところ必要ではなさそうだったのでとりあえずはその場を発った

その後、泊浜へ向かった


泊浜は大きな集落らしい…しかし震災後、陸からの物資はなかったようだ。物資はアメリカ海軍が海から持って来ていると言うことだ…今回は沿岸部の被害が大きいため海からの支援が鍵となるのだろう。
阪神淡路大震災とはまた異なった方法の支援が必要なのか…


ヒアリング後、次の支援場所を探しにその場を発った

韮の浜地区の区長宅に数名の避難民がいるらしいのでその区長宅に向かった。

区長宅には数名が避難していた。
物資は来るらしいが、調理器具が無く困っているとの事…


ニーズを聞いた後買い出しに向かい、その日の内に全てを揃える事が出来た。


買い出し後、物資を運び支援を継続した

その日の内に韮の浜と細浦に物資を運ぶ事が出来、避難されている方々に喜んでいただけた。このフットワークの軽さも私達の武器なのだろう…


そうして、陽が落ちた


夕飯をとっていると余震が襲ってきた…

余震の続くなか避難されている方々はどんな気持ちなのか…


身体よりも心が疲れた1日だった…明日以降も意義のある活動をしていきたい

そんな事を考えながら1日を終えた…


team SAKE ユタ

投稿:team SAKE 京都組 はるか

第2陣の報告会

今晩お越しくださる予定のみなさま
<事前に連絡をお願いします。>
今晩の会場案内です。前回(第一陣)の報告会と同じビルです。

日時:本日 4月11日(月) 19時開場 19時半~21時半
場所:KAIKA (2F)or akikan (3F)
    京都市下京区岩戸山町 440 番地 江村ビル2F or 3F(1Fがファミリマートの建物です)
    新町高辻北西角です。
    地下鉄四条駅・阪急烏丸駅から、南西に徒歩8分

大きな地図で見る
会場費:300円のカンパをお願いします。

第3陣 細浦、韮の浜再訪

第3陣よりの報告です。

涌谷町のヨークベニマルで要望のあった支援物資を手に入れ、
午後に細浦・韮の浜料集落を再訪しました。

午前中に出て行ったサケがその日の午後に戻ってきたというこ
とで、だいぶ歓迎して頂いたようでした。
水はだいぶ不足していたようで、飲料用の分を除けば、米の調
理用にも十分ではなかったとのことです。

この地域では、明日から灯油の配達が始まるようですが、電気
が通じていないため、何とか発電機を手に入れられないか、と
のことでした。

teamSAKEとしても、これからどのような支援ができるのかを検
討していきます。

明日は、雄勝・女川方面の集落を目指します。



報告:Team SAKE 足立

日曜日, 4月 10

第3陣 南三陸町歌津 馬場中山、細浦、韮の浜

第一・二陣で現地入りした足立です。
現在京都に戻っています。

先ほど第三陣(三枝、湯谷、伊東)から連絡がありました。

今日はまず、何度か訪れている馬場・中山集落へ、要望のあった耳栓・サンバイザー・サンダル等を運びました。
今回のメンバーはいずれも馬場・中山は初訪問でしたが、「サケが戻ってきた」と、すごく喜んで頂けました。

次に、馬場中山の少し南で、JR気仙沼線清水浜駅から東に入ったところにある、細浦と韮の浜という二か所の集落に立ち寄りました。ここでは味噌と梅干をお渡ししました。






細浦集落には200人ほどがおり、水やカップラーメンといった基本的な物資すら足りておらず、水をためておくポリタンクも不足しているとのことです。

さらに半島の奥に入った韮の浜集落には、元々70軒ほどの家がありましたが、震災で半分ほどが流され、現在は区長さんの家で9人が生活するなど、主に個人宅に避難されているようです

民間や個人の支援は殆ど入っておらず、人が来ただけでも喜んでいただけたようでした。(入浴支援の方は来られたようです

ここでもまだまだ基本的な物資が足りておらず、炭酸ジュースなどの嗜好品類にいたっては殆どない状況のようです。ジャージ・エプロン・ストーブ・鍋といった要望も出されました。
また、電気が通じていないため、ソーラーパネルを使ったランタンも必要だということでした。

これらの集落では、配達もなく、ガソリンも不足し遠くまで移動することができないため、依然として基本的な物資も足りていないようです。

第三陣は、これから石巻市に戻って支援物資の買い出しを行い、本日中に再び細浦・韮の浜を訪問する予定です。
(石巻市では大規模スーパーも営業を再開しているようです)

報告:team SAKE 足立

投稿:team SAKE みつはる

第3陣 馬場中山へ

4月10日 11時
馬場中山に、無事物資お届け完了。
皆、team SAKEを認識してくれていて、運び込みも手伝ってもらえた。
鮭だ。戻ってきたと言ってもらえた。
人手も足りてるし、大丈夫。また
必要なものが出てきたら言わせてもらうわな。という感じ。

他の集落についての情報収集後、馬場中山の少し手前のニラノハマへ 歌津の南 平松のあたり 、物資来てなかった。

緊急性高いものがまだない。水もきてない。看板出しているくらいだった。持ってる水、味噌と梅干し渡せた。
他のそういう個人宅に避難してる集落にもっと行きたい。



報告:team SAKE つよし

投稿:team SAKE みつはる

第3陣 4/10の予定

4月10日午前中に3人で馬場中山へ向かいます。
その後、次を目指します。

昨日も石巻で回転寿司食べてたら震度4の余震がありましたが、
皆さんは、さほど慌てず、席も立たずに落ち着いておられました。
もう慣れた、停電しなけりゃ大丈夫との事です。

報告:しんご

投稿:team SAKE みつはる

第3陣 石巻到着

4月9日15時36分
無事石巻の四万十塾にガスボンベコンロなどお届けできました。
ご心配いただきありがとうございました。



報告:しんご

投稿:team SAKE みつはる

土曜日, 4月 9

磐越道

4月9日 6時41分
見渡す限り田んぼの新潟を走り、磐越道に入りました。
途中、車が右に傾きながら走り少し危険を感じました。
ガソリンスタンドで空気圧を調べてもらったら、右後ろのタイヤの空気圧が減っていました。
それ以降は、無事にドライブしています。

team SAKE つよし

第3陣が出発しました。(第2陣と呼んでいた)

4月8日 午後9時37分
三陸へ向けて第3陣はトラックで出発しました。
馬場中山集落からのリクエストされたものと、
石巻へのガスボンベを乗せて、
今回も荷物は山もり満載です。

今回は、みみせん、サンバイザー、裁縫道具、鏡くしの女性セットなどかゆい所に届きそうな荷物を持って向かっていまーす。

team SAKE みつはる

第2陣 無事到着しました。(第1陣と呼んでいた)

4月7日 16時

第2陣が無事に京都へ戻ってきました。
支援物資も簡易トイレ以外は、完売。
メンバーも体調を壊さず、無事に戻ってこれました。

行ってきたメンバーは、
集落を回りながら、集落によっての状況の違い、
必要な支援の違い、人の違いを感じたようです。

ひとがそれぞれ違うように、必要な支援もそれぞれ違うことが確認することができました。
今度の支援に活かしていきたいと思います。

かゆいところに手が届くようなお手伝いがしていけたらと
改めて思いました。

team SAKE みつはる

水曜日, 4月 6

広田半島六ヶ浦集落

4月6日 13時3分報告


広田半島は半年は水が来ないらしく、給水車を待つ生活に慣れつつあるかの様でした。

道が分断された半島の一番奥の集落にたどり着くと、訪問自体を喜ばれました。「夜だったら誰も助からなかっただろう。」とか、「竹やぶの山を寝たきりのおばあさんをおぶって渡って助かった」などお話を聞きました。ここでも皆が大きな家族みたいだから声掛け合って助かったと話されてました。
私たちが訪れる小さな集落は割と共同体の機能が残っていて死者の少ないところが多い印象です。
様々な形の被災がある中ですが。

帰りに本家に寄りました。おばあさんはみんなに家を解放していましたが、家を無くした者などの先の不安を毎日聞いてると、自分は家があるし、畑の一部をやろうにも、やはり相当のストレスがかかっている。私たちよそ者に地震や津波以外の話を聞いてもらえることで、心がすっとするんだから、ありがとうと言われました。物も嬉しいけどここまで来てくれたことが何より嬉しいと言ってくださいました。



今、陸前高田市中心部を通過中です。言葉にできません。粉塵がひどいです。

漁業の町は、昼間晴れているために魚介類の腐敗臭がきつくなってきました。

高台に来ると田畑を耕している人もいます。
よく晴れています。


team SAKE はるか

4月5日ダイジェスト 半島に

4月6日 8時6分報告

昨日(4月5日)はふたつの半島へ行きました。船越半島と箱崎半島です。

一番大変なのは、人探しだと言っておられました。
毎日皆さんで探されているようでした。
孤立していた時間が長い集落はやはり復興も遅れがちです。今もまだライフラインが復旧してません。
昨日最後に行った桑ノ浜という集落は道が両方とも分断されていて10日間支援が入らなかったそうです。他では足りている灯油もここでは喜ばれました。

今日(4月6日)また2ヵ所の集落に行く予定です。

私たちの最大の目的は支援物資を運ぶことではないはずですが、私からの報告が物資についてに偏ってしまっていて自分でも違和感があります。戻ったらきちんと報告したいと思います。
生きるのに必要な物資についての不安は解消されつつあり、亡くなった方が少ない集落では、生活向上のための細かな物資と今後の不安が大きい感じです。情報と仕事が次の不安な点。保険がどうなるのか不安。保険屋さんか法律に詳しい方に相談に乗ってほしいと言っておられます。

着の身着のままだったので眼鏡がなくて困ってる方もいます。眼鏡屋さんも一緒に末端の集落に来てほしい位です。



毎回のメールで、お伝えしたいことの1割も書けず、もどかしいです。



被災地に身を置いた後の自分は来る前の自分とは全く違うというのが、(当然なのでしょうけど)実感です。

team SAKE はるか

火曜日, 4月 5

大槌

4月5日 20時57分報告


 大槌の町の被害です







team SAKE ゆうゆ

こやどり

4月5日 20時54分報告


写真の湾をのぞむこやどり集落では、昨日から電気が来たそうです。

おばあちゃんに会いました
息子さん、旦那さんはながされて一人になってしまったそうです。
梅干しをお渡ししました。
おばあちゃんに寄ってって、と言われました。寄って行きたかったです。




team SAKE ゆうゆ

吉里吉里

4月5日 8時8分

昨夜は吉里吉里周辺で泊まりました。
駅は無事でしたが、駅周辺は写真のような光景です












team SAKE ゆうゆ

月曜日, 4月 4

線路上の半壊の家

4月4日 23時26分報告


気仙沼線の上に半壊の家
乗ってました。

涙も出ない光景がつついています。








team SAKE ゆうゆ

4月4日ダイジェスト 孤立していた避難所へ

4月4日 21時43分



海を眺めれば
目の前の光景が視界から落ち
きらきらと光るおだやかな海を美しいと感じます


日が落ちると町は真っ暗で
眼下の光景が消え
山の端がくっきりと浮かび
影絵を見ているようです。


今日もこの「光景」を表現できません。


細かい報告ができずにすみませんが、以下本日の流れです。

朝、馬場中山集落を出て、初めに出会った40代くらいのお母さん
軍手無しで家のあった場所から使えるものを探してました。
「清掃車がくると使えるものも使えないもの片付けられてしまうし、腐り始めるし。」


軍手を渡して、後から避難所の中学校に寄りますと言って別れました。


開いているラーメン屋さんに入ったら
(現地で営業している店を使わせてもらうことも支援につながると考えています)
、トイレットペーパーを必要とされていて、お渡しすることができました。お商売をされている方は避難所で救援物資を分けてもらうわけにもいかず、また店頭の生活用品は売り切れで、苦労されていると思います。


中学校と高齢者施設に立ち寄った後、JA南三陸の店舗で買い物をしました。


馬場中山集落の中に、ここで勤務されている方がいることと、私たちが積んでいる支援物資がさみしくなってきたからでした。


そこで、昨日道が開通したばかりの集落があると知りました。
3週間孤立状態だったけど、民宿と個人宅の2ヵ所に別れて生活されてました。味噌、梅干し、非常に喜ばれました。
他では足りているお米と下着もここでは喜ばれました。
 
その個人宅はわかめやカキの養殖・米作りをしている方のお宅で、地震直後には70人もの人が避難していたそう。
今は、地元の人を中心に20人くらいの方が助け合ってすごしておられます。
そのお宅のご主人が「わかめをもってけ」と、塩蔵のたくさんのわかめをくださいました。
SAKEでは、現地からモノを持ち帰ることはしないと決めていたので、丁重にお断りしたがしきれず・・・。
結局、京都で販売するために卸していただくことにした。それにしても、安い値段・・・でもお気持ちを受け取ることにさせてもらった。
ご主人「今年は無理だが来年から、お前らのためにまたわかめつくらなきゃな!」

洞宗の仙翁寺では330人が生活されていました。物資もたくさん届いてましたが、爪切りがひとつしかない、自転車が有効だけどパンク修理セットがない、毛布が意外にも足りない、カレンダーがないなど私たちが持ち合わせているものが隙間をほんの少しだけ埋めることができたかもしれません。
梅干しは喜ばれました。


瓦礫のせいか目や鼻、喉が痒いです。涙の一粒出たら洗えるんでしょうけど、とても出ません。
事態は深刻です。

team SAKE はるか