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現在、被災地で必要としているヒト、技術、知識 ★募集中一覧

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日曜日, 7月 31

8/13 ガイアシンフォニー第7番上映会にてチームサケ報告

8月は、第11陣が少し長めに三陸入りする予定です。
同時に京都での様々なイベントにも関わります。

8月13日(土)は、ガイアシンフォニーの第7番の上映会があります。
京都のダンサーERIKAさんが奉納の舞をされた後、
上映会があり、その後でサケの報告会があります。
サケへの寄付を予定してくださっています。

ぜひお越しください。
サケからは三枝(みえだ)が報告に参加します。
上映会のチラシはこちら → ●

■8月のサケが参加する催しの予定

・8月6日(土)
山の上マーケット
京セラ夏まつり
三条会商店街 三条会屋台村

・8月13日(土)
ガイアシンフォニー第7番

■9月のサケが参加する催しの予定
・9月14日~20日 京都大丸物産展

金曜日, 7月 29

山の上マーケット2011

*山の上マーケット2011
*京都府南山城村・旧野殿童仙房小学校にて
*8月6日(土)雨天決行 10~16時

友人の川合夫妻は、チームサケの第1陣から支援してくれている木工作家さんと工房を切り盛りされています。

山の上マーケットは、とってもイイもの揃いで、気持ちのいいマーケットです。
サケのパンフレットを置かせてもらったり、三陸の訪問した先の巨大地図を貼らせてもらったりする形でご厄介になります。
寄付も考えてくださっているとか・・・。

みなさん、ぜひ8月6日は、京都府の唯一の村 南山城村へ

木工の作品は、心と背中が思わずすっとするステキな作品なんです。


陶芸、木工、ガラス、金属、織物、雑貨・・
もちろん美味しいお茶おはじめ、パンやお菓子も・・
約60店舗が出店されます。
いいものと涼しさを求めて山の上へお越し下さい

お問い合わせ:山の上マーケット実行委員会 川合
TEL/FAX:0743-93-3155


う~ うなるほど 行きたいっ!
山の上マーケット2011 → ●

シサム工房でチャリティイベント

7月31日(日)2時から6時
御影通りのシサム工房事務所前にて
チャリティーイベントがあります。

sakeも昆布のお店を出します。
(が、売り子が足りていません・・・)

いろいろなワークショップが開催される、にぎやかなお祭りになりそうです。

フライヤーはこちら→ ●

シサム工房のホームページはこちら→ ●

金曜日, 7月 22

手作り市の出店者情報

継続的に活動、寄付をしてくださっているドイツの方たちの橋渡しをしてくださっている 京都在住の梅村マルティナさんが手作り市の出店者情報で更新されていました。

ご紹介します。→ へいわのくつした

投稿 team SAKE はるか

水曜日, 7月 13

小石浜の記事(毎日新聞)

毎日新聞7月13日東京夕刊に、小石浜の記事が掲載されました。

ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。

東日本大震災:岩手・大船渡「恋し浜ホタテ」ピンチ 漁港沈下、陸揚げできず

team SAKE 足立


~~~以下掲載記事~~~


東日本大震災:岩手・大船渡「恋し浜ホタテ」ピンチ 漁港沈下、陸揚げできず


 ◇海は目の前にあるのに…

 岩手県大船渡市の特産「恋し浜ホタテ」が、東日本大震災で危機に陥っている。若手漁師たちは再開に向け動き始めたが、大きな支障になっているのは小石浜漁港の荷さばき場の地盤沈下だ。約70メートルにわたり70センチほどが沈んだため、船を接岸してホタテを陸揚げすることができない。綾里(りょうり)漁業協同組合小石浜青年部長の佐々木淳さん(40)は「一部だけでもいいので直してもらえないだろうか」と訴える。【馬場直子】

 大船渡市三陸町綾里の小石浜地区は、約30世帯のほとんどがホタテ養殖に携わる。取引価格低迷や「三陸産」とひとくくりにされることを危ぶんだ佐々木さんらは03年、地名をもじって「恋し浜ホタテ」と名付け、電話注文による消費者への直接販売を始めた。

 数量を制限し、身が厚く甘みのある商品に仕上げた。直販による鮮度の良さもあって顧客は全国に広がり、出荷量は03年の1・7トンから昨年は21トンと大きく増え、売り上げも12倍になった。

 三陸鉄道にも働きかけ、09年に最寄り駅の名前を「小石浜」から「恋し浜」に変えてもらった。駅はホタテの殻を使った絵馬を飾る縁結びスポットとしても知られるようになった。

 しかし、津波で養殖場や作業場は壊滅。佐々木さんも船1隻をなくし、買いそろえた機械は使えなくなった。今年と来年に収穫するホタテも全滅し、佐々木さん個人の被害総額だけで約4000万円に上るという。ほかの漁業者も同様の被害を受けた。

 被災直後から養殖再開に向け、がれきを片付け始めた。「何年かかってもいいから、養殖が再開したら取引させて」。取引先や顧客からそんな電話も受けた。養殖に使える小舟も借りられるようになった。ただ地盤沈下した港は船を寄せただけで座礁してしまい、どうにもならない。震災から4カ月が過ぎ、佐々木さんは焦りを感じている。

 「養殖できる海は目の前にあるのに……すぐにでも漁場を再開させたいんです」

毎日新聞 2011年7月13日 東京夕刊

月曜日, 7月 11

4カ月目の日に。

みなさんこんにちは。

京都のはるかです。
今日は、311からちょうど4カ月ですね。
昨日は、三陸沖でマグニチュード7.1の地震があり、船越のブログによれば、
30センチ位の津波が7,8回に渡り、押し寄せてきたそうです。
船越(宮城県石巻市雄勝半島)復興への歩み 2011-07-10

311以前と違って、地盤が沈下しているため、少しでも津波が来ると大変です。
三陸で出会った皆さんのことが心配です。


金曜日は、京都外国語大学の国際教養学科のpeace studiesという授業にお邪魔してきました。
100名位の学生さんと、わざわざ来てくださった市民の方とで、双方向にやりとりをするのは難しい環境でしたが、みなさん熱心に話を聞いてくれました。
教室には、一人だけ二度現地入りをした学生さんがいました。
彼女は、「向こうとこちらのギャップがつらい」と話していました。
被災地で被災者と特に交流をしたわけではないけれど、一緒に行った仲間で直接話された方がいたそうです。
その方が聞いた被災された方の言葉は「忘れられるのが一番つらい」でした。
それで、彼女は DON'T FORGET TOHOKU というタイトルを付けて、宣伝をしたり準備をしたりしてくれていました。

質問もたくさんあり、終了後も、多くの学生さんが寄ってきてくれました。
ちょっとやんちゃそうな男子学生も 「向こうってまだ人足りないんすか?俺でも役に立ちますか?」などと聞きに来てくれました。

もっと、反応がないのではないか?と、たかをくくっていました。こんなことなら持ち時間の半分を質問タイムにすればよかった・・・。
また授業に行きたいくらいです。全然違うやり方で場を共有したいと思いました。


サケのブログを通じて、離乳食を送られた滋賀県在住の方は、「離乳食を送ることで、『何かできないか?』という思いが満たされるものかと思っていたけれど、お礼の電話があって、メールの交換などをすると、今度は赤ちゃんの日よけ帽子が必要ではないかとか、日焼け止めが必要ではないかとか、逆に気になるようになった」そうです。
そういうわけで、その後も継続して支援していただいています。

他にも、ブログを通じて物資の支援をしたことをきっかけに、ずっとメールや手紙のやりとりをしてくださっている方がいます。
ありがたいですし、うれしいです。


第5陣、6陣の報告会でライブをしてくださった
元 五つの赤い風船の長野たかしさん 森川あやこさん ご夫妻は、飯野川中学校という避難所でライブをしてくださいました。
歌い終えてから、「がんばらんでいいって思ったわ。ありがとう。」と声をかけられたと話されていました。


私ごとですが、今日は、福島の避難した先でクッキーを作るプロジェクト「にこまるプロジェクト」のクッキーを買いました。
とってもおいしいし、作られた方からのはがきが入っていました。
お手紙を書いてみようと思います。

チームむかご

チームむかごって、チームサケと通じるところがあるな、って勝手に親近感を持っています。


team SAKE はるか

木曜日, 7月 7

チームサケ活動報告のお知らせ 7/8(金)京都外国語大学

明日、報告をさせていただきに、京都外国語大学に行きます。
お近くの方、お時間のある方、ぜひキャンパスでお会いしましょう。

Friday, July 8th 7月8日 金曜日
Period 5 Room 171 5限目(16:40 - 18:10) 171教室

京都外国語大学
〒615-8558
右京区西院笠目町6
TEL:075-322-6012

参加費は無料、言語は日本語です。
※ワカメや昆布がご入り用の方は、今晩中に teamsake311(あっと)gmail.com にご連絡をくだされば会場に持って行くようにします。

投稿:team SAKE はるか

月曜日, 7月 4

紙ふうせん:1杯10円に託す思い/山口・下関のバー(毎日新聞)

毎日新聞7月4日九州版に、チームサケに寄付を続けてくださっているバー"yellow"の早川洋輔さんが載っていましたので、お知らせします。

ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。

紙ふうせん:1杯10円に託す思い/山口・下関のバー

カクテルなどのドリンク1杯につき10円の寄付をしてくださっています。
最初は、毎日コンビニなどから義援金を続けてらっしゃいましたが、活動が見えるところを通じて、という思いから、チームサケを通じて三陸の支援をしてくださっています。
4月から5月6月と3度目の寄付が入りました。
毎回、ありがとうございます。

team SAKE はるか


~~~以下掲載記事~~~


紙ふうせん:1杯10円に託す思い/山口・下関のバー


 山口県下関市のバー「yellow」のマスター、早川洋輔さん(31)は東日本大震災直後から、飲み物1杯につき売り上げ10円を義援金に充てる運動を続ける。早川さんの思いは次第にお客にも拡大。「息の長い支援にしたい」と話す。

 早川さんは東北地方と縁はないが、震災発生からしばらくは重苦しい空気が店内に漂ったという。客は普段の半分以下。仙台市に友人を持つ客は「津波で行方不明になった。心配でならない」。被災地から避難してきた客もおり、職を失って沈痛な面持ちでグラスを傾ける姿に、早川さんは「思いを受け止めるのが仕事なのに、声が掛けられなかった」と振り返る。

 そんな折り、手持ちのお金を数えては、大切そうに飲む大学生を見て、気付かされたという。「多くの人がさまざまな思いを託して1杯を飲む。その1杯に被災地への思いも込めたい」。これが「『1杯10円』運動」となった。

 「被災地に10円が行くけえ」と声を掛けると、女性客たちは「心を込めて飲みます」。「マスターの分と私の分」と、余分に10円を置く客も現れた。早川さんはこれまでに京都市のボランティア団体を通じ、計約2万6000円送っている。「少ない額ですが、1杯ごとに被災地を考えてもらえる。支援は人の思いの積み重ねなのかもしれませんね」【尾垣和幸】

2011年7月4日

第9陣 船越でのこと

宮城は今、大雨です。
車で京都に向かって発ちました。

今回は、土曜日の晩、真夜中に船越に入り、小学校に泊まって
翌朝日曜日の5時から、復興を目指すホダデ協業部会の中里さんと話をしました。

4時に浜の見周りをされ、帰ってきた中里さんと小学校で出会いました。
中里さんは、毎朝そうして、見周りをされています。
もしかして、和尚さんや本家のおじいさんやその他のまだ見つからない方たちが見つからないかという思いや、
誰かにとっての大切なモノが見つからないかという思いもあってのことです。

瓦礫の撤去は急速に進んでいます。
船越がかなり復興に向けて動いている姿勢を見せているせいもあるかな、と思います。
一方で、瓦礫の撤去が進むと、誰かにとっての大切なものも瓦礫の一部となって、誰にも見つからないところへ行ってしまうので、毎日欠かさず、時間をとっておられます。

前日、隣の浜で一人あがったとのことや、何一つ見つからないと言っておられた方の物が見つかったことなど、続けられていることの意義を感じます。大変な苦労である点は、想像を超えます。


月末に、朝ズバッという番組で船越が特集されたことを機に、多くの方が支援に入られています。
一方で、今までになく、顔の見えない関係というか、電話だけの関係が始まったりして、(これは考えたくないことですが)良からぬ展開もゼロではないということから、一緒に考えて確認をすることにしました。

結果、みなさん本当に善意で協力をしてくださることが分かり、安心して話を進めていけることになりました。

前回、船越入りしたときに、ブログを立ち上げたので、今回は自分たちのブログが皆さんにどう映っているのかを確認したり、実はコメントという機能があって、毎日のようにコメントが入っていたことを知ってもらったりしました。

それから、昨日お伝えしたように、「はるかちゃん、お墓参り行ぐか?」と誘っていただきお墓参りに行きました。
「絆」と、大きく書かれたお墓は、お二人にとっては、「息子たち3人のおうちの様にしたかったんだ。」と、特別な思いで造られたことがよく伝わりました。
一緒に行った伊東さんには、小さなお子さんが3人おられます。とても耐えられない様子でした。

亡くなられた3人にお会いすることができなかったけれど、お二人と3人の、その間にあるものは、いつもとてもはっきりと、強く感じられます。


お墓参りのあとで、住民集会に参加しました。
話し合いの際に、ホワイトボードでもあれば、みんなの共有が進むのにね。というつぶやきから、ボランティアで来ていた大工さんにお願いして、家庭科室の黒板をはずしてもらって、集会をする部屋に移してもらいました。
こういうのは、よそ者の視点の方が気づくものなんだな、としばしば思います。

午後は、伊東さんは、持ち込んだコピー機で資料のコピーをしたり、作業の手伝いをしたりして、
私は、料理やなんかを手伝ったりして過ごしました。
(この間、始終ハエ叩きをしています。)

夜は、漁の話を聞きました。
漁をするときに、いかに鳥たちがサインをくれるか、どうやって他の漁師と駆け引きをするか、いろいろな話を聞きました。

孝一さんが寝てからは、おっかぁから今の気持ちを聞きました。
毎度思うのですが、こうして、「お互いしんどい思いをしている関係」ではない、被災していない者がゆっくり話を聞けるのは大切な時間だと思うのです。
泊まらせてもらって、一緒に枕を並べて、眠りにつくまで話すときも、他のみんながいるときには、話されないようなことを耳にします。
家族を失った者のつらさ、家が残った者のつらさ、集落を出て行く者のつらさ、それぞれがそれぞれに抱えています。

私は初めて被災地入りした4月の頭、訪れた六ヶ浦のおばあさんに言われた「震災と関係のない話を聞いてくれることもボランティアさんの役割だってこと覚えておいてね。」の言葉が支えになっています。
彼女のところにもまた行きたいですが、なかなか叶いません。

数えてみれば5度目の被災地でしたが、これまでと違って今回は、こちらにいる間にしんどくなりました。
いつもは、京都に帰ってから、おなかが痛くなったり、眠れなかったり、呼吸が浅くなったりするのですが(そして、それはそうなって当然だろうと思って無理せず自分とつきあっているのですが)、今回は初めてこちらにいる間にしんどくなりました。

今朝は寝坊して、6時半近くに小学校から中里家に行きました。
すると、内陸に避難している方たちも、もう集まっていて、手に入ったばかりのどなたかが撮られた津波の映像を観ていました。
観るとしんどくなると言いながらも、みなさん何度も観ていました。
私も今や隔週で来ている雄勝の津波の様子は初めて観、動揺しました。あまり観たくないのが正直なところです。

そのあとで、請求書を作ったり、領収書を作ったり、ワカメの発送作業を手伝ったりしました。
パソコンを使えるボランティアが秘書のように、この集落にステイできればいいのにね。と、私と伊東さんは言い合っています。
今週の金曜日、京都外国語大学の授業をお借りして、チームサケの活動を報告する機会があるので、夏休みに行きたい人はいないか、誘ってみようと思います。

それから、ワカメの茎取りの作業をしたり、最後に多くを共有したりして、船越を後にしました。

仙台では、ワカメや昆布のパッケージのデザイナーさん、NPOの宮城県温暖化防止センター、建築士さんなどと打ち合わせたりしました。
毎回、帰りに仙台のキーパーソンと直接打ち合わせることができるのも、仙台の復旧が早かったおかげです。


えらい長くなりました。
パソコンでネットが通じるようになって、(私の悪い癖ですが)長文になってしまいました。
すみません。

京都外国語大学での報告は、
7月8日(金)17時40分からです。
どなたでもご参加いただけるそうです。
※チームサケを招いてくださったマルティナさんは、この日の晩、再び小原木中学校避難所へ発たれます。


もう福島に入ってました。。。雨は相変わらず。

9陣 チームサケはるか
編集:team SAKE 足立

日曜日, 7月 3

9陣の報告

みなさんこんにちは。

現在船越におります大関はるかです。
今回は、前回同様、伊東さんと現地入りしています。

三陸は、とにかくハエがひどいです。
ここのところ、私は2週間おきに定期的に三陸に入っていますが、
右肩上がりの増え方です。

報告のはじめからこんな話で失礼ですが、とても深刻です。
どうしたもんでしょうか。
みなさんハエ叩きの腕前がどんどん高まっています。


今、私は船越にいます。
311以降初めて、被災された方で、津波で家族を亡くされた方のお墓参りに同行しました。
これまで、話を聞くばかりでいましたが、毎日お参りに通われる方たちと、共にその場を過ごし、うまく言えないのですが、他人事でないような、今までにない感情を抱きました。
息子さんとお嫁さんと最愛のお孫さんを同時に亡くされたお二人は、「お墓に来ると、毎日泣いてしまうんだ。」「でも、ここに来ると安心するんだ。」と話されていました。

アンパンマンのおもちゃとコップ、息子さんのためにタバコに火を点けてやる姿が、今浮かびます。


昨日は、雄勝の復興市で、「津波に負けなかったわーっかめ」が千袋も売れたそうです。
「昨日は楽しかったね~」と、今日集会に集まったみなさんが話されていました。

でも一方で、状況が様々に変化し、しんどさも多様化している様子がうかがわれます。

仕事があることは希望だと思います。なるべく仕事につながるようにというのが、私が前回の8陣の間に感じたことでした。
だけど、今回感じているのは、前を向いて歩こうとされているその内側は、やはりとても苦しく重たいものだということです。

ここのところ、「私たちの方がむしろ元気をもらう。」と言ってきたけれど、それは、一方で事実なのですが、一方で何かを表現していないと思っています。
今日はなんだか前向きでないことしか書けずすみません。
震災後に訪問した方たちを再訪し、少しゆとりのある時間の中でお話に耳を傾けることが、今とても大切な気がしています。

明日はもう少し報告めいたことを書くようにします。


9陣はるか

金曜日, 7月 1

小原木での緑のカーテン設置の記事(両丹日日新聞)

Team SAKEメンバーの川手光春が勤める京都府地球温暖化防止活動推進センターの仲介で、小原木小学校の仮設住宅に「緑のカーテン」としてゴーヤの苗が植えられることになり、福知山環境会議のマスコットキャラクター・ゴーヤ先生たちが現地を訪れました。

これから夏本番ですが、緑のカーテンが順調に育てば、仮設住宅の温度上昇が緩和されることでしょう。

両丹日日新聞6月20・25日、7月1日版に、関連記事が掲載されました。

ウェブ上でも「WEB両丹」において、閲覧することができます。

仮設住宅に緑のカーテン 福知山産ゴーヤ苗200本で

被災地の仮設住宅に緑のカーテンを― ゴーヤ先生らが気仙沼で苗植え

ゴーヤ先生が被災地の子たちに笑顔届ける 各地の「ゆるキャラ」仲間と

team SAKE 足立


~~~以下掲載記事~~~


両丹日日新聞2011年6月20日のニュース

仮設住宅に緑のカーテン 福知山産ゴーヤ苗200本で


 夏を迎える東日本大震災の被災地の仮設住宅に「緑のカーテン」をと、福知山市から緑の親善大使・ゴーヤ先生が24日、宮城県気仙沼市へ出向き、住民たちと一緒にゴーヤの苗を植えてくる。
 
 
 苗は福知山環境会議に参画するエスペック福知山工場で育てた福知山産。市民に栽培を呼びかけて配布したのと同じものを200本用意した。ほかにプランター、園芸用土28リットル入り120袋を同社で調達。ツルを巻き付かせる栽培用ネットを環境会議から提供してもらった。これら資材で2トントラック1台分になるという。
 
 向かうのは気仙沼市唐桑町にある小原木小学校。校庭に仮設住宅が建っている。6世帯1棟の5棟と集会所1棟。府地球温暖化防止活動推進センターの仲介で話が進んだ。
 
 入居している人たちが住んでいた地域は、入り江の奥の漁村で、180世帯あったうち140世帯が津波で流失したという。打ち合わせのため13日に現地入りしたエスペック社の谷口真奈見さんは、高台にある小学校の静けさと、学校の下に広がる海辺の惨状との違いに言葉も無かったといい、「それでも生活再建をと前を向く被災者のみなさんに接し、できる協力をと強く感じました」と話す。
 
 入居者からの要望を受け、福知山市連合婦人会が作ったゴーヤのレシピ集も、30冊の提供を受けて携えることになった。
 
 ゴーヤ先生はエスペック社員や住民たちと一緒に苗を植え、翌日からは南三陸町へ移動し、各地の「ゆるキャラ」たちと復興応援イベントに参加する。


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両丹日日新聞2011年6月25日のニュース

被災地の仮設住宅に緑のカーテンを― ゴーヤ先生らが気仙沼で苗植え


 福知山環境会議のマスコットキャラクター・ゴーヤ先生たちが、これから暑い季節を迎える東日本大震災の被災地に「緑のカーテン」を作ろうと24日、宮城県気仙沼市の仮設住宅でゴーヤの苗200本を植えた。仮設住宅の人たちは、頑張って育てていきたいと話し、緑のカーテン完成を心待ちにしているという。
 ゴーヤを植えたのは、気仙沼市唐桑町の小原木小学校校庭にある仮設住宅。6世帯で1棟になった5棟と集会所1棟が建っている。入居者は、元は入り江の奥の漁村に住んでいた人たちで、180世帯のうちの140世帯が津波に家を流された。

 24日は雨のひどい中だったが、エスペック社(福知山市)の谷口真奈見さんら社員、仮設住宅の住民らが協力し、作業をすすめた。住民は、住宅にいる女性や高齢者ら、ほぼ全員が参加し、手早く植えた。ネットは、エスペックの社員が中心となって張った。

 3時間かけて終えたあと、住民らに緑のカーテンの育て方を伝え、福知山環境会議の「ゴーヤ先生なりきりタオル」、福知山市連合婦人会のゴーヤ料理レシピ集をプレゼントした。
 谷口さんは「これから緑のカーテンを通じ、福知山市と気仙沼市唐桑町のみなさんの交流が始まります。本当に楽しみ」と話す。

 ゴーヤ先生は、25日に茨城県水戸市の震災復興支援イベント、26日に宮城県南三陸町の復興市のイベントに参加する。
 
■ ひまわりの苗と温かい手紙も届ける ■
 
 ゴーヤ植え付け前日の23日、ゴーヤ先生たちは福知山市猪崎のひまわり保育園から頼まれた、ひまわりの苗と園児の温かい手紙を気仙沼市立小原木保育園へ届けた。
 
 小原木保育園は、17人の園児のうち7人が津波で家を失い、5人が避難所の小原木中学校体育館から通っているという。
 
 ひまわりの苗を手渡し、ひまわり保育園園児らの手紙も読み上げられ、保護者を含め園児たちを笑顔で包んだ。


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両丹日日新聞2011年7月 1日のニュース

ゴーヤ先生が被災地の子たちに笑顔届ける 各地の「ゆるキャラ」仲間と


 「みどりのカーテン」作りを推進する福知山環境会議のマスコットキャラクター・ゴーヤ先生が6月25、26両日、東日本大震災の被災地を元気付けるため、茨城県水戸市と宮城県南三陸町で開かれた復興支援イベントに参加した。全国各地のゆるキャラが集う催しで、被災地の子どもたちと交流し、みんなの心を癒やした。
 25日は、茨城県水戸市の映画「桜田門外ノ変」オープンロケセット・記念展示館で開かれた。ゴーヤ先生ら西日本を中心に結成した「ゆるキャラ応援隊」と地元のゆるキャラ、合わせて約30体が「ゆるキャラ音頭」などを踊り、会場を盛り上げた。記念展示館は震災以来、来場者数が1桁だったが、この日は1000人を超える人たちが集まったという。
 
 26日には、宮城県南三陸町で開かれた〝福興市〟に参加した。福知山環境会議広報の谷口真奈見さんは、訪れた被災地の中では、南三陸町が最も悲惨な状況だったという。「360度見回しても何も無く、瓦礫の山だった。残っている建物も、中身は全て津波に持っていかれた状態でした」と話す。
 
 ショックではあったが、被災者らもイベントスタッフとして尽力する姿を見て、気持ちを入れ直し、本番に臨んだ。
 
 宮城県・むすび丸を含む16体のゆるキャラが、10分間のステージでAKB48「会いたかった」のダンスを披露し、会場の人たちを喜ばせた。ゴーヤ先生はステージ後、ゴーヤの種やステッカーを配るなどして交流し、集まった子どもたちを笑顔にした。
 
 ゴーヤ先生は震災後、グッズを売ってチャリティーに充てるなどの支援をしており、これからも出来ることを長く続けていきたいと意気込んでいる。
 
 24日には、みどりのカーテン作りの取り組みとして、気仙沼市の小原木小学校にある仮設住宅でゴーヤなどの苗植えもしており、9月に再び訪問する計画でいる。