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月曜日, 7月 4

第9陣 船越でのこと

宮城は今、大雨です。
車で京都に向かって発ちました。

今回は、土曜日の晩、真夜中に船越に入り、小学校に泊まって
翌朝日曜日の5時から、復興を目指すホダデ協業部会の中里さんと話をしました。

4時に浜の見周りをされ、帰ってきた中里さんと小学校で出会いました。
中里さんは、毎朝そうして、見周りをされています。
もしかして、和尚さんや本家のおじいさんやその他のまだ見つからない方たちが見つからないかという思いや、
誰かにとっての大切なモノが見つからないかという思いもあってのことです。

瓦礫の撤去は急速に進んでいます。
船越がかなり復興に向けて動いている姿勢を見せているせいもあるかな、と思います。
一方で、瓦礫の撤去が進むと、誰かにとっての大切なものも瓦礫の一部となって、誰にも見つからないところへ行ってしまうので、毎日欠かさず、時間をとっておられます。

前日、隣の浜で一人あがったとのことや、何一つ見つからないと言っておられた方の物が見つかったことなど、続けられていることの意義を感じます。大変な苦労である点は、想像を超えます。


月末に、朝ズバッという番組で船越が特集されたことを機に、多くの方が支援に入られています。
一方で、今までになく、顔の見えない関係というか、電話だけの関係が始まったりして、(これは考えたくないことですが)良からぬ展開もゼロではないということから、一緒に考えて確認をすることにしました。

結果、みなさん本当に善意で協力をしてくださることが分かり、安心して話を進めていけることになりました。

前回、船越入りしたときに、ブログを立ち上げたので、今回は自分たちのブログが皆さんにどう映っているのかを確認したり、実はコメントという機能があって、毎日のようにコメントが入っていたことを知ってもらったりしました。

それから、昨日お伝えしたように、「はるかちゃん、お墓参り行ぐか?」と誘っていただきお墓参りに行きました。
「絆」と、大きく書かれたお墓は、お二人にとっては、「息子たち3人のおうちの様にしたかったんだ。」と、特別な思いで造られたことがよく伝わりました。
一緒に行った伊東さんには、小さなお子さんが3人おられます。とても耐えられない様子でした。

亡くなられた3人にお会いすることができなかったけれど、お二人と3人の、その間にあるものは、いつもとてもはっきりと、強く感じられます。


お墓参りのあとで、住民集会に参加しました。
話し合いの際に、ホワイトボードでもあれば、みんなの共有が進むのにね。というつぶやきから、ボランティアで来ていた大工さんにお願いして、家庭科室の黒板をはずしてもらって、集会をする部屋に移してもらいました。
こういうのは、よそ者の視点の方が気づくものなんだな、としばしば思います。

午後は、伊東さんは、持ち込んだコピー機で資料のコピーをしたり、作業の手伝いをしたりして、
私は、料理やなんかを手伝ったりして過ごしました。
(この間、始終ハエ叩きをしています。)

夜は、漁の話を聞きました。
漁をするときに、いかに鳥たちがサインをくれるか、どうやって他の漁師と駆け引きをするか、いろいろな話を聞きました。

孝一さんが寝てからは、おっかぁから今の気持ちを聞きました。
毎度思うのですが、こうして、「お互いしんどい思いをしている関係」ではない、被災していない者がゆっくり話を聞けるのは大切な時間だと思うのです。
泊まらせてもらって、一緒に枕を並べて、眠りにつくまで話すときも、他のみんながいるときには、話されないようなことを耳にします。
家族を失った者のつらさ、家が残った者のつらさ、集落を出て行く者のつらさ、それぞれがそれぞれに抱えています。

私は初めて被災地入りした4月の頭、訪れた六ヶ浦のおばあさんに言われた「震災と関係のない話を聞いてくれることもボランティアさんの役割だってこと覚えておいてね。」の言葉が支えになっています。
彼女のところにもまた行きたいですが、なかなか叶いません。

数えてみれば5度目の被災地でしたが、これまでと違って今回は、こちらにいる間にしんどくなりました。
いつもは、京都に帰ってから、おなかが痛くなったり、眠れなかったり、呼吸が浅くなったりするのですが(そして、それはそうなって当然だろうと思って無理せず自分とつきあっているのですが)、今回は初めてこちらにいる間にしんどくなりました。

今朝は寝坊して、6時半近くに小学校から中里家に行きました。
すると、内陸に避難している方たちも、もう集まっていて、手に入ったばかりのどなたかが撮られた津波の映像を観ていました。
観るとしんどくなると言いながらも、みなさん何度も観ていました。
私も今や隔週で来ている雄勝の津波の様子は初めて観、動揺しました。あまり観たくないのが正直なところです。

そのあとで、請求書を作ったり、領収書を作ったり、ワカメの発送作業を手伝ったりしました。
パソコンを使えるボランティアが秘書のように、この集落にステイできればいいのにね。と、私と伊東さんは言い合っています。
今週の金曜日、京都外国語大学の授業をお借りして、チームサケの活動を報告する機会があるので、夏休みに行きたい人はいないか、誘ってみようと思います。

それから、ワカメの茎取りの作業をしたり、最後に多くを共有したりして、船越を後にしました。

仙台では、ワカメや昆布のパッケージのデザイナーさん、NPOの宮城県温暖化防止センター、建築士さんなどと打ち合わせたりしました。
毎回、帰りに仙台のキーパーソンと直接打ち合わせることができるのも、仙台の復旧が早かったおかげです。


えらい長くなりました。
パソコンでネットが通じるようになって、(私の悪い癖ですが)長文になってしまいました。
すみません。

京都外国語大学での報告は、
7月8日(金)17時40分からです。
どなたでもご参加いただけるそうです。
※チームサケを招いてくださったマルティナさんは、この日の晩、再び小原木中学校避難所へ発たれます。


もう福島に入ってました。。。雨は相変わらず。

9陣 チームサケはるか
編集:team SAKE 足立

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