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水曜日, 7月 24

第25陣 雄勝町船越・八雲神社の例大祭

7月22日(旧暦8月5日)、雄勝半島の船越において、八雲神社の例大祭が執り行われました。
震災後、船越で初めて行われる大きなお祭りです。

そして今回の祭りのクライマックス、雄勝法印神楽の奉納です。
演じられる内容は、天岩戸、日本武尊の東征などです。
生憎の空模様でしたが、雨の中、前日に組んだ仮設舞台の上にブルーシートを張って舞が披露されました。


舞台の左奥に設けられた小さな舞台を高舞台(こぶたい)といいます。舞台との間には板が渡されており、洞窟に閉じこもったアマテラスはここから出てきます。

舞を披露する雄勝法印神楽保存会も、津波で会長が亡くなるなど大きな犠牲を出しましたが、こうして復興へと向かう各部落で、神楽を奉納し続けています。


演目の合間には3回の餅まきがあります。


こちらでは舞台の傍らで、餅とり名人が熟練の技を披露しています。ひとつひとつ取っている人達を尻目に、一網打尽です。


祭りの時には、船に大漁旗を掲げます。先月に進水式を迎えたばかりの「第七孝丸」にも旗が上がっています。


部落の皆さんは、舞台のすぐ近くでバーベキューをしながら、楽しんでおられました。
滅多に見ることのできない海の男のスーツ姿。普段と雰囲気が変わりますね。


今回獲得したお餅です。船越の方は生で食べたりもします。


今回のお祭りでは海を渡る勇壮な「荒神輿」はありませんでしたが、船越にも豪快な神楽が戻って来た事は、感慨もひとしおです。
船越復興の暁には、是非お神輿もこの目で見たいものです。


なお、この日のお祭りについては、
船越住民であるカツどんどんさんのブログ「雄勝町船越地区の応援」に詳しく紹介されています。


第25陣根岸・文責足立

金曜日, 7月 5

第24陣 船越・第七孝丸の進水式


去る6月1日、船越のリーダー中里孝一さんの新しい船「第七孝丸」が、いよいよ進水式の日を迎えました。






船越の浜で整備されていた第七孝丸。クレーンで吊り上げ、海に下ろします。中里さんは、最後まで大事な船のチェックに余念がありません。




親戚・知人をはじめ、支援者やボランティアなど、今日まで中里さんと関わってきた多くの人々からのたくさんの大漁旗。太平洋から吹く北東の風の下、色とりどりにはためいています。旗竿には、すぐ裏の山に生えている竹を使いました。なんとteamSAKEの旗は一番高い所に掲げてもらっていました。嬉しいやら気恥ずかしいやら。




船の上にいるのは、みんな船越復興のために頑張ってきた人達です。お神酒を口にした後、残りのお酒を船と海に捧げます。

このあと餅まきが行われ、第七孝丸の上からはお餅の他にもお米・カップめん・百円玉などが撒かれました。「ぜひ童心に帰ってね」と言われた私は餅拾いの方に夢中で、写真はうまく撮れませんでした。




そしていよいよ処女航海です。




船越は夏にはハモ(アナゴ)漁が本番ですが、秋にはこの船でサケを獲ります。北上川を遡上するため追波(おっぱ)湾まで帰ってきた所を、網にかけるのです。




以前なら進水式後には部落の人みんなで飲みあかし、空の一升瓶が家中に転がっていたそうです。現在部落の皆さんは、各々遠くの仮設住宅やアパートまで自動車で帰らないといけないため、お酒を飲めません。
その代わりに、この晩は埼玉・大阪・京都から駆けつけて来たボランティアが、お相手をいたしました。

漁師にとって、船は家よりも大事なものですが、それだけに高価で貴重なものでもあり、進水式など滅多にできない人生の一大事です。震災がもたらした不思議な縁で、一人の漁師にとって大切な場面に立ち会う事ができました。

ようやく船越の復興もここまで来たのか、という感慨があります。
あとは港が直り、家が建ち始めるのを見守っていくこととしましょう。



teamSAKE 足立

第24陣 雄勝半島 船越へ

去る5月31日から6月3日にかけ、石巻市雄勝町の船越を訪れました。
私は震災後2年間で16回目の訪問となり、第四の故郷とも呼べるような感覚になりつつあります。




雄勝の中心部では、旧雄勝総合支所(元の雄勝町役場)の取り壊しが進んでいます。吹き抜けが特徴的な建物でした。かつての雄勝の繁栄を物語る建物がまた一つ消えていきます。




震災時にいた70人中64人が死亡・行方不明となった雄勝病院。雄勝の中心部から船越へ向かう途中に哀しい姿を見せていたのですが、ついに完全に取り壊されました。




全戸が流失した大浜には、新しい納屋が建っていました。船越はここから峠ひとつ越えた向こうです。




大浜峠を越え、船越へ向け「美人坂」を下っていると、鮮やかな藤の花が出迎えてくれました。



  
船越には前よりも花が増えました。ほとんどの家は取り壊されてしまって寂しい風景の中、明るい色合いを添えています。




2階天井まで津波の到達、避難者全員無事の退避、船越存続を賭けた住民集会、漁の再開による加工場、世界中から集まったボランティアの活動拠点、船越レディース工房・・・・・・
震災後も船越の歴史を刻み続けた小学校が、遂に取り壊しのため立ち入り禁止になりました。
私たちteamSAKEも、この小学校には幾度となくお世話になってきました。




最後の授業が行われた黒板は取り外され、「ありがとう」の文字が書き残してありました。




浜に建つ納屋も増えてきました。INJMというボランティア団体が定期的に訪れ、花壇を作ったりしています。家の屋根から外されたスレート石が、有効に使われています。



teamSAKE 足立