緊急のお知らせ欄


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現在、被災地で必要としているヒト、技術、知識 ★募集中一覧

支援別カテゴリー

岩手県集落別カテゴリー

宮城県気仙沼方面集落別カテゴリー

宮城県石巻方面集落別カテゴリー

水曜日, 4月 20

本郷のこと

ほんごう




地図:本郷

Team SAKE 4月20日の訪問記録:
本郷地区でぐるっと回って、人に聞くと、コミュニティセンターに避難中とのこと。
本郷地区コミュニティ消防センター22名避難
4名ぐらいのおじさんがおられた。
ちょうど、お風呂行き(釜石新日鉄近く)のバスが来ていた。
足りないものを聞くと、リストを見ながら確認してくれた。
足りない物品は本部に頼むと届けてくれるようになりつつある。
宅急便も届く。地区名は3つ、本郷、大曽根、桜峠。本郷が壊滅。
会長さんが対応してくれた。
回りの人も手伝いに来ていた。

火曜日, 4月 19

小原木のこと

こはらぎ

地図:宮城県気仙沼市唐桑町舘

190名近くの大所帯が暮らす避難所。
自治会組織が運営しているため、家に戻られた在宅の方の情報も把握し、物資を分配されています。
移動手段が課題。バスなどで送迎し、買い物とかに行けるようになると良いかも。
★チームサケ みつはる★

team SAKE 4月19日の訪問記録:

紹介を受けた小原木中学校へ行くと190人70世帯の大所帯が体育館に。四つの集落が集まり大沢地区という。行政は入らず自治形式で運営されている。
日中は働きに出て人は少なくなっているといっていたが、40~50人はいた。子どもとお年寄りが中心。
区長さんに通されたが担当の女性と区長の奥さんを紹介され、足りないものをお聞きした。

これから夏に向けて薄着の洋服が必要、とのこと。
他の団体で、チームサケと同じように必要なものを届けてくれるコーディネーターがいるらしい。
なるべく多くのボランティアの名簿を作っている。これから支援が減ってくるだろうからしっかりと繋がれる所を確保しておきたいとのこと。
車がない。持っている人も荷物が満載で、他の人が乗れない。
自分達以外の他の地区がどうなっているかの情報はなかなかないとのこと。
男山酒造(被災している)からの支援物資の甘酒をご馳走になってしまった。
編み物セットの話をすると、やる方もおられるかもとのことなので、他の物資とともにお渡しした。

サケ日記 19日報告

月曜日, 4月 18

鶴ヶ浦のこと


地図:宮城県気仙沼市三ノ浜

team SAKE 4月18日の訪問記録:

鶴ヶ浦生活文化センターの避難所にいくと、数人がいた。
避難所は30人ぐらい、他にご飯食事のみ来る人もいる。
油、醤油、味噌、ダシ昆布、梅干しが欲しいと言われ、差し上げた。

追加で京都のお茶、子ども小学校の5年生女の子へお菓子少々をあげた。
少し話して欲しいものを聞くと、気の良いおじさんがポンポンいってくれた。
あう服何でもよい。

チリ地震でも津波にやられ、今回被害者は出なかったが、やっと復興してきたところなのに、、、。当日夜は2晩ぐらい海に流れた油が燃え火の海。プロパンガスのボンベの破裂音が爆弾のようで怖かったとのこと。
話してくれたおばちゃんに手を握って頑張ってと伝えると、ありがとうと涙をにじませた。

サケ日記 18日の報告

火曜日, 4月 12

小渕浜のこと

こぶちはま


地図:宮城県石巻市小渕浜

team SAKE 4月12日の訪問記録:

小渕浜集落を訪れました。元々牡蠣とワカメの養殖をしていたところです。
ここの住民の方は近くの大規模避難所で生活しておられたのですが、自分たちのところを復興させていきたいと、20名ほどが自宅に戻ってきて生活しておられるそうです。

ここは漁村なのですが、地震の後には50名ほどの漁師が全員沖に出て、津波から船を守りました。しかし、陸に帰ってくると家がボロボロになっていてショックを受けたそうです。

サケ報告 第3陣 4/12 牡鹿半島
サケ日記 心がつながる
サケ日記 13日から15日に帰ってくるまで
サケ報告 第4陣 牡鹿半島 小渕浜
サケ日記 第4陣報告
サケ報告 4陣(お迎え組)が小渕浜へ ふたたび

月曜日, 4月 11

船越(雄勝半島)のこと

ふなこし


地図:宮城県石巻市雄勝町船越


Team SAKE 5月5日の訪問記録:

船越集落の中里さんはサケ獲りを主とした漁師であり、その他にも季節により色々なものを獲っている。集落では、牡蠣、ホタテ、ワカメの養殖や、六月にアナゴ、冬にたこ、ウニ、アワビなどが獲れ、豊かな漁場となっている。集落には百隻を超える船があったが、全部の船を津波で失った。

中里さん宅をはじめ、まわりの家屋は津波から免れたため、津波後は20人程が中里さん宅に寝泊まりして生活をしていた。その後の数日は、中里さん宅周辺の家屋も使用し、5人ずつぐらいに別れて生活を送っていた。現在は26人が集落に戻っている。電気が10日に復旧する予定で、水道は復旧していないが、湧き水があり煮沸して飲み水として使っているので不自由はない。

一部の地域が漁を再開させるからと焦って漁業を再開するのではなく、地域の漁業の足並みをそろえてゆっくりスタートさせたいという想いがある。

日曜日, 4月 10

韮の浜のこと

にらのはま

地図:宮城県本吉郡南三陸町韮の浜


◆韮の浜獅子舞(町指定・民俗芸能) ~にらのはまししまい~
 昭和十年代、韮の浜の古老が地区の高台に祀られている愛宕神社を参拝した帰り、ふと霊気を感じてあたりを見廻すと、らんらんと眼を輝かした獅子がうずくまっている。驚きながらも近寄ってよく見ると、それは老松のこぶ根だったので、持ち帰ってその晩のうちに獅子の頭に作り上げました。以来、神社の祭典には地区をあげて獅子舞を奉納し、毎戸を巡って悪魔を祓い、家内安全・大漁豊作を祈るようになりました。

南三陸町 VIRTUAL MUSEUM(外部リンク)


team SAKE 4月10日の訪問記録:

韮の浜集落には、元々70軒ほどの家がありましたが、震災で半分ほどが流され、現在は区長さんの家で9人が生活するなど、主に個人宅に避難されているようです。

民間や個人の支援は殆ど入っておらず、人が来ただけでも喜んでいただけたようでした。(入浴支援の方は来られたようです)

ここでもまだまだ基本的な物資が足りておらず、炭酸ジュースなどの嗜好品類にいたっては殆どない状況のようです。また、電気が通じていないため、ソーラーパネルを使ったランタンも必要だということでした。

この集落では、配達もなく、ガソリンも不足し遠くまで移動することができないため、依然として基本的な物資も足りていないようです。

サケ報告 第3陣 南三陸町歌津 馬場中山、細浦、韮の浜
サケ日記 4月9日~10日の報告

水曜日, 4月 6

六ヶ浦のこと

むつがうら



地図:岩手県陸前高田市広田町六ヶ浦

広田半島は、お団子をふたつくっつけた様な形をしています。六ヶ浦集落は、2つめのお団子のつけ根に近いところにありますが、道がなかったため、半島の先までぐるりと回って、たどりつきました。
うさぎや犬の絵が描いてある看板を見た時、小さな子もいるのかな?と思いました。
ジャブジャブと泥まみれになった、がれきから出てきた服やタオルを洗っておられるおばあさんがいました。仲間が車に荷物を取りに行ってる間、「手伝いますね!」と、一緒にジャブジャブ。
持っているもの、たくさんお渡ししました。飲み水がほしいなんて、ここはまだまだ深刻だと思いました。
水のお届け先は、本家と呼ばれるお宅でした。帰りに寄っていってと言われ、3人で縁側に腰掛けました。
「目の前の竹藪の山を、寝たきりのおばあさんをおぶって若い者が越えてくれたの。」という話や、「18家族みんな同じ血筋で全員が家族なの。」という話、「こうして、あなた方がここまで来てくれたことが何より。災害と関係ない話を聞いてくれることが一番心がすっとすることなのよ。」など、いろいろお聞きしました。
(そうそう。一番小ちゃな子はどの子ですか?と聞いたら、「一番小ちゃな子はこの子」と、この春大学に進学する子をさして言われました。)
team SAKE はるか


team SAKE 4月6日の訪問記録:

道が分断された半島の一番奥の集落にたどり着くと、訪問自体を喜ばれました。「夜だったら誰も助からなかっただろう。」とか、「竹やぶの山を寝たきりのおばあさんをおぶって渡って助かった」などお話を聞きました。ここでも皆が大きな家族みたいだから声掛け合って助かったと話されてました。

サケ日記 広田半島六ヶ浦集落

火曜日, 4月 5

桑ノ浜(箱崎半島)のこと


地図:釜石市箱崎町桑ノ浜

箱崎半島の南に位置する桑ノ浜は、山に囲まれ海に面した小さな集落です。
集落の一番高い場所にあるお家に避難されていた数人の方々とお話をしました。
低地にあった家々の残骸越しに、青い海が静かに広がっているのが見えます。
桑ノ浜の方々は、漁業(かき、ホタテなど)を生業に暮らしていたそうです。
「3,4年後にまた来てねー。その時はホタテご馳走すっから」との言葉に、胸がじんとしました。
team SAKE ゆうゆ

Team SAKE 4月5日の訪問記録:

小谷鳥(船越半島)のこと

こやどり


地図:岩手県下閉伊郡山田町船越小谷鳥

壊滅的な被害を受けた船越の港を通り過ぎ、高台へ続く一本の道を上っていくと、小谷鳥集落がありました。
被害を免れた家々の軒先には、たくさんの薪が積まれ、フェンスには漁具がかかっています。
出会った女性に伺うと、カツオ漁をされていたそうです。
たくさんの漁師さんが、この震災で命を落とされたことを知りました。
team Sake ゆうゆ


Team SAKE 4月5日の訪問記録:

湾をのぞむこやどり集落では、昨日から電気が来たそうです。

おばあちゃんに会いました
息子さん、旦那さんはながされて一人になってしまったそうです。
梅干しをお渡ししました。
おばあちゃんに寄ってって、と言われました。

サケ日記 こやどり
サケ日記 21日報告

月曜日, 4月 4

仙翁寺のこと

地図:仙翁寺

夕暮れの仙翁寺の境内は、炊き出しのうどんを食べる方々や、駆け回って遊ぶ子どもたちの声で賑やかでした。まだまだ寒い日が続く中、300人以上が共に生活されておられるそうです。
お風呂などの設備もようやく整いつつあるという状況で、小さな日用品は全く足りていないということ。現場のニーズにあった支援物資を届けるシステムの必要性を改めて痛感しました。
お寺の周辺にある食料品店の方のお話では、仕入れることのできる商品の種類や数は限られており、全く手に入らないこともあるということでした。
team SAKE ゆうゆ

Team SAKE 4月4日の訪問記録:

サケ日記 4月4日ダイジェスト 孤立していた避難所へ

岩井崎のこと




地図:宮城県気仙沼市波路上岩井崎

家々の残骸に胸を痛めながら進んでいくと、小さな林や畑が残る岩井崎集落に入りました。
震災直後は、近くの工場から避難してきた人々を含め、70人ほどが一つ屋根の下で暮らしたというお宅を訪ねました。認定避難所ではなかったため、支援の手が届くのが遅れ、苦労されたそうです。
「2年後には、わかめの養殖を再開したい」と、避難所宅のご主人はおっしゃいました。
team SAKE ゆうゆ

P.S. 第二陣の報告会で皆さんに召し上がっていただいたワカメスープのワカメは、避難所宅のご主人Hさんから頂いたワカメでした。Hさん、とてもおいしかったです。ありがとうございました。


team SAKE 4月4日の訪問記録:

ご主人が「わかめをもってけ」と、塩蔵のたくさんのわかめをくださいました。
SAKEでは、現地からモノを持ち帰ることはしないと決めていたので、丁重にお断りしたがしきれず・・・。
結局、京都で販売するために卸していただくことにした。それにしても、安い値段・・・でもお気持ちを受け取ることにさせてもらった。
ご主人「今年は無理だが来年から、お前らのためにまたわかめつくらなきゃな!」

サケ日記 4月4日ダイジェスト 孤立していた避難所へ
サケ報告 第3陣 小渕浜、小屋取、韮の浜、馬場中山、岩井崎
サケ日記 13日から15日に帰ってくるまで
サケ日記 18日の報告

火曜日, 3月 22

馬場・中山のこと



地図:宮城県本吉郡南三陸町歌津馬場、中山

team SAKE 4月10日の訪問記録:

馬場中山の集落はとにかく元気だ!!
長がしっかりリーダーシップをとり集落をまとめ
集落の方々は自分たち自身の役割をもってきびきびと行動をとる…日本人のよさをひしひしと感じられる光景だ。また、昔からの集落の良さが残っているのがとても印象的だった
「日本は強い」被災地を見てそう思えた。

「必要なものはありませんか?」「今のところない」
「人手は必要ないですか?」「ない」

素晴らしい答えだと自分は思う。自力で復興しようという兆しだろう。
必要であれば連絡をくれるという…私達は必要ないというのが一番望ましい

馬場中山生活センターホームページ(外部リンク)
team SAKE とは(team SAKE発足のきっかけとして馬場中山に触れている)
サケ日記 4月3日ダイジェスト 馬場中山集落から
サケ報告 第3陣 馬場中山へ
サケ日記 4月9日~10日の報告
サケ日記 13日から15日に帰ってくるまで
サケ日記 第4陣報告
サケ日記 18日の報告