4月4日 21時43分
海を眺めれば
目の前の光景が視界から落ち
きらきらと光るおだやかな海を美しいと感じます
日が落ちると町は真っ暗で
眼下の光景が消え
山の端がくっきりと浮かび
影絵を見ているようです。
今日もこの「光景」を表現できません。
細かい報告ができずにすみませんが、以下本日の流れです。
朝、馬場中山集落を出て、初めに出会った40代くらいのお母さん
軍手無しで家のあった場所から使えるものを探してました。
「清掃車がくると使えるものも使えないもの片付けられてしまうし、腐り始めるし。」
軍手を渡して、後から避難所の中学校に寄りますと言って別れました。
開いているラーメン屋さんに入ったら
(現地で営業している店を使わせてもらうことも支援につながると考えています)
、トイレットペーパーを必要とされていて、お渡しすることができました。お商売をされている方は避難所で救援物資を分けてもらうわけにもいかず、また店頭の生活用品は売り切れで、苦労されていると思います。
中学校と高齢者施設に立ち寄った後、JA南三陸の店舗で買い物をしました。
馬場中山集落の中に、ここで勤務されている方がいることと、私たちが積んでいる支援物資がさみしくなってきたからでした。
そこで、昨日道が開通したばかりの集落があると知りました。
3週間孤立状態だったけど、民宿と個人宅の2ヵ所に別れて生活されてました。味噌、梅干し、非常に喜ばれました。
他では足りているお米と下着もここでは喜ばれました。
その個人宅はわかめやカキの養殖・米作りをしている方のお宅で、地震直後には70人もの人が避難していたそう。
今は、地元の人を中心に20人くらいの方が助け合ってすごしておられます。
そのお宅のご主人が「わかめをもってけ」と、塩蔵のたくさんのわかめをくださいました。
SAKEでは、現地からモノを持ち帰ることはしないと決めていたので、丁重にお断りしたがしきれず・・・。
結局、京都で販売するために卸していただくことにした。それにしても、安い値段・・・でもお気持ちを受け取ることにさせてもらった。
ご主人「今年は無理だが来年から、お前らのためにまたわかめつくらなきゃな!」
洞宗の仙翁寺では330人が生活されていました。物資もたくさん届いてましたが、爪切りがひとつしかない、自転車が有効だけどパンク修理セットがない、毛布が意外にも足りない、カレンダーがないなど私たちが持ち合わせているものが隙間をほんの少しだけ埋めることができたかもしれません。
梅干しは喜ばれました。
瓦礫のせいか目や鼻、喉が痒いです。涙の一粒出たら洗えるんでしょうけど、とても出ません。
事態は深刻です。
team SAKE はるか
チームサケ:集落のための東日本大震災復興支援サイト
team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。
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