5M組です。
遅くなりましたが5月4日の詳細な報告です。
気仙沼はイーモバイルが使える!
20110504_5M&A
☆作業チーム
・釜石市箱崎 西山家
午前中西山家にて3人が中心となり作業。
前日に引き続き瓦礫の撤去。
木がはえていると(りんご畑?)そこまでは、重機も入れないので撤去してもらえない様子。
重機が入れるところまで瓦礫を撤去して移動する。
連続して作業するのは大変なので、1時間作業して休憩という繰り返し。
途中、桑の浜へ一瞬借り出され、とっても重たい金庫を移動して戻った。
作業後、うどんと山菜のこごみをご馳走になる。とれたてのこごみはとってもおいしかった。
☆巡回チーム
・釜石市箱崎 仮宿
物資はわりと足りているとのこと。
ただ、調味料をもらえると嬉しい。とのこと。
必要な人に渡してくれるとのことで、調味料を選んで置いていくことにした。
連絡先を聞くと、固定電話は通じていなく、DOCOMOも集落内でも一部しかつながらないので丘に登ったりする必要があるとのこと。
Sさん宅。箱崎白浜
物資で服のサイズが合わず、欲しいモノがピンポイントで来ない。とのこと。
買物は釜石の方に言っている、普段は大槌の方に行っていたが、大槌にはなくなってしまったので、、、。
・釜石市箱崎 旧白浜小学校
残っているの15人ぐらい。他の方は、釜石市の体育館へ移動した。
残った15人は近所で仕事のある世帯。海岸での仕事や定置網などの仕事でここからの方が近いので残っているらしい。
物資は自衛隊が頻繁に来ているので足りている。
当初から、大阪の医療チームや大阪府警が来ていていた。
神奈川県警は、最近巡回している。
今日は男衆が山菜取りに山へ行っている。
山も海もあっていいですねと伝えると、「最近、海でタコを取ってゆでて食べると、油臭くて食べられなかった。まだ、当分ダメだろう。まだあがってない人も居るので、、、、」
お酒を渡すと、「みんな喜ぶ、ありがとう」と返してくれた。
子どもたちは震災後、釜石市内の小学校に分かれて通っていて、それに伴い家族で釜石市内に移っていった。
対応してくれたのはUさん
・釜石市箱崎 西山家被害地を挟んで東側のお宅(ヒデ単独by自転車)
ご夫婦がいらっしゃったのでお話を伺った。
「原発がある地域は原発被害のお金がおりて高額もらえるが、
この辺りはそれがないから少ない。
支援金を支給してもらうために罹災証明を取らないといけないが、手続きが面倒。
物資で送られる中に韓国産などが含まれ、食べるのが不安。」
調味料などが喜ばれた。
・釜石市箱崎 北東の沢の集落
たずねていくとちょうど自衛隊の食材を配っているところだった。
調味料など、持ってきた旨伝えると、広げた支援の差し入れに集まってくれて、必要なものをもらって行ってくれた。
現在15件ぐらい残っているところに、親戚つてに避難してきた世帯含めて25世帯ぐらいがいる。
水道がつながっていないので、自衛隊が給水車で水を持ってきてくれている。朝給水すると、夕方には無くなり、次の日の朝は、水を汲みに来たが空で帰った人もいたとか。
困っているようだったので、私たちの物資の中から水を1ケース置いて帰ることにした。
サケの活動を紹介すると、一人の女性が「洋裁の仕事をしていたが、ミシンが浸水で壊れたため新しいのが欲しい。家庭用のものでもあれば支援物資をみんなのサイズに合わせて直せる」とのこと。
その物資配給の拠点となっているお宅のすぐ隣の家で、火事が発生。(地震と津波では残ったのに。)
釜石から他県(大阪?)の消防車が来てくれたが、道もわからず大変だった。水は海からひいた。
チームサケ:集落のための東日本大震災復興支援サイト
team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。
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