私たちteam SAKEは、このゴールデンウィークは、3組に分かれて活動をしています。
2組は、4月30日(土)に京都を無事発ち、すでに活動を始めています。
もう1組は、5月2日(月)の晩に京都を発つ予定です。
京都組(残り組)は数名で、京都組と三陸組でどちらが本部かわかりません。
それぞれ、リーダーの名前をとって、5A、5T、5Mと呼ぶことにしました。
5A(A足立大組)
5T(三枝Tつよし組)
5M(川手Mみつ春組)
ATMになってしまいました。
途中で、車の交代やメンバーの交代があり、本人たちもこんがらがるような編成ですが、それぞれ得意とする分野が異なり、活動に幅が出ることと期待しています。
4月30日(土)
5Aと5T(2台の車、10名)は、IDROjapanhttp://www.idrojapan.org/のみなさん(2台11名)と共に、京都を出ました。
出発間際は、国際色豊かでした。
小渕浜集落を紹介した大工のロバートさんのグループの方たちです。主に京都在住の外国人の方です。
5月1日(日)
5A組は、仙台のSAで、5T組とIDROjapanの皆さんと分かれてから、盛岡へ そこから海の方へ
岩泉から小本、宮古へと進みました。
一方で、5T組は、小渕浜へ
小渕浜と言えば、3陣が初めて訪れたときの報告が印象に残っています。
「地震の直後に、50名ほどの漁師が全員で沖に出て、津波から船を守りきった。陸に帰った時の光景にショックを受けた。」という内容の日記だったと思います。
船を守りきった時の誇りと、家や集落がボロボロになっていた時のショックは想像できない範疇だと思います。
さて、IDROjapanの方たちは、漁具を探すボランティアに行き、
team SAKE 5T組は、上記のお話を聞かせていただいた方(team SAKEでは、社長と呼んでいます。)の事務所の泥かきや荷物出しのお手伝いをしたそうです。相当な体力仕事だったと思います。
15時に作業を終えたIDROjapanの方たちも、その後手伝ってくれたようです。
team SAKEからは、持久力に自信のある2人が数日滞在して、この仕事を続けることになりました。
この2人は、某大学自転車部の出身で、三陸地方は自転車でくまなく走っているので、恩返しの思いもあると、出発前に話してくれました。
同じころ5A組は、宮古に到着したものの、遅い時間だったため、集落の直接訪問はせずに、明朝訪問する集落の目星を4,5ヶ所つけたのみです。しかし、現時点でもまだ丁寧に周る必要がありそうだと判断したようです。
一ヶ所だけ「摂待せったい」という集落でおばあさんとお話ができたそうです。
物資は特に必要ないとのことで渡していませんが、回りが全て流されて、その一軒しかない状況だそうです。
5月2日は集落訪問後、重茂半島に行く予定です。
毎度京都組は、出発組を送り出すと、やれやれ~とへたり込んでしまいます。
出発前は、大騒ぎなんです。 おそらくどこのボランティアグループもそうではないかと思います。
今晩は6度目のどたばた劇です。応援求ム!
team SAKE 京都組 はるか
チームサケ:集落のための東日本大震災復興支援サイト
team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。
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