本日、京都に戻りましたチームサケ7陣のはるかです。
今回は、船越で集落の集会があったので、そこにお邪魔してきました。
時間があまりなかったのですが、1陣が一番初めに訪れた波伝谷(はでんや)という集落にも足をのばしました。
当時、道がなく孤立状態にあって、山づたいに自転車と物資を担いでいたころからは、考えられないくらい復旧が進んでいます。多くの方の力を感じます。
他にも、顔を出したい集落はあるのですが、前回に引き続き船越に集中した活動となりました。
船越で生活をしている方たちの一日は、(たぶん)4時半頃に始まっています。
(私らが起きる頃には、すでに皆さん起きて動いています。)
日の出とともに活動を始め、7時前に朝ご飯を終えます。
その頃、車で30名くらいの方が入ってきます。
みなさん、避難生活を送っておられる方たちで、船越には家も何もありません。
石巻や登米、仙台などから毎日通っておられる方たちがいます。
2時間も3時間もかけて通い、瓦礫の撤去、漁具の回収、大切なものを探したり、復旧作業をしたり、学校の掃除をしたりしています。(まだ見つからない人も探し続けています。)
避難生活が長期化するに従い、意思統一が難しくなります。
毎日作業に帰って来られている方は復興の思いが強く、確かめ合えるとしても、避難先で長く過ごされている方たちには、様子もわからず、必然的に難しいことだと思います。
船越では、集落内で避難生活を打ち切った4月10日を境に、皆がバラバラになってしまいました。
4月1日に集会をして以来、毎1日、15日は集落に集まる日に決めました。
毎回何名が集まるかは、当日蓋をあけるまでわかりません。
今回、私と大学生のボランティアのメグは集会の前日に入り、メグは、復興したい思いのある中心メンバーのイメージする将来像をイラストにしました。
集会当日の早朝サケメンバー3名が合流し、東京から建築士の方、宮城県内の建築科の大学生も来られました。
集落の復興を望む中心メンバーは、朝から特別な面持ちでした。
復興のイメージを伝える特別な日だったからです。
加えて、皆が船越に住みたいと思っているのか、住みたくないと思っているのかを問うても良い時期だと判断していたため、アンケートを用意していました。
私たちも途中から集会にお邪魔しました。
若い漁師さんたち、おっかぁたちは、皆後ろの方にいました。
小学校の3階は、とてもきれいになっていて、津波をかぶったとは思えない環境です。
そこに100名が集っていました。
ここに詳しく書くことはできませんが、集会は集落の歴史上、とても大切な一点にいるように感じました。
再びこの船越で皆でこころ豊かに暮らしたい一心で、また子や孫、その先の子どもたちのことを思って日々自主的に作業してきた中心メンバーの深くあたたかい想いが垣間見える度、とても力強くしなやかなやさしさに包まれ、胸が熱くなります。
一方で、残念な場面もあり、悲しさや悔しさで涙が止まらなくなることもありました。
あきらめている方たちもいるし、希望を持って動いている方たちもいるし、その間で揺れている方たちもいます。今回、着々と進んでいる部分、足りていない部分、夢の絵図を共有し、更に皆さんの気持ちは揺れていると思います。今まで見たどんな場面よりも、「人間」を見ている感じがしました。
次回の集会も多くの方が参加されると予想されます。
「津波の後、互いのイヤな面を見る場面もたくさんあった。でもそれは人のやったことじゃなく、津波のやったことだと考えている。あれからもう大きな津波はこない。これからは人の心も元に戻る。お互いを責めないでいきたい。またみんなで生きていきたいだけなんだ。」中里さんからの電話で
7陣はるか
チームサケ:集落のための東日本大震災復興支援サイト
team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。
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