今回のメンバーは、はるかと足立と3陣で参加の伊東さんと高校2年生のれふちゃんの4人ですが、
京都のボラグループ IDRO Japan のロバートさん、アレックスさんの車に便乗させてもらって出発しました。
京都の大工のロバートさんは、前回船越に入り、小学校の割れた窓サッシを18枚持って京都に帰りました。今回はそれらのに全て新しいガラスを入れられ、持ち込まれるところでした。
今、船越小学校は、新しい窓ガラスが入り、そうでないところも、ロバートさんたちが瓦礫の中から窓の代わりとして使えるものを探し、はめられています。黒板などがはまっていて、とてもおしゃれに見えます。
あとは、(欲を言えば)畳などが敷き詰められればなぁと思います。
集落のみなさんが毎日遠くの避難所から通って、瓦礫撤去や浜の掃除、漁などをされていることを考えると、休める場所が集落内にできることはとても大切だと思うのです。
学校がきらいで行くことができずにいる京都のれふちゃんは、出発時は泣きはらした目をしていましたが、どんどん顔がイキイキしてきて、集落に入る度、みんなの人気を集めています。気づいたことを進んでしてくれるしっかり者で、ボランティアとしては抜群です。年齢は関係ないなと思いました。
15日
船越では、住民の集会が行われました。
朝は、私とれふちゃんはワカメの茎とり作業に混ぜてもらいました。
男性二人は持ち込んだパソコンと携帯プリンタで、資料づくりのお手伝い。
おっかぁたちは、れふちゃんの学校嫌いの話を聞いてくれて、「楽しいことをしたらいいから、ムリして行かなくてもいい。津波の後は本当にそう思うようになった。」と、おっしゃっていました。
私から見ると、津波の後、都会の高校生の登校拒否の相談を受けるなんて、集落の方たちにはないことだと思うのです。
なんだか、悩み相談を受けてるときのみなさんが、こっちの集落でもあっちの集落でも、普段と違うテンションに見えます。
さて、集落会議。
報道陣が多いせいか、みなさんはいつもの感じではないように見受けられました。
(前回は、私は最後列でビービー泣いていました・・・。人間のふかーいものを目の当たりにして、なんとも言えないものを感じたのでした。)
報道が復興の大きな足がかりになればと、つい期待してしまいます。
サケがつないだ建築士の方たちが、現状の立体模型を持ってきてくださいました。「これから船越のみなさんが将来像を構築していくための道具で、宝物じゃありません。切ったりはったり自由にして、話し合いを具体的にする一助としてくだされば幸いです。」と、おっしゃっていました。
つい、いきなりゴールを目指したくなりますが、考えては意見をもらい、また考えることが大事です。
建築士の方いわく、「プロも、平面だけで考えると大きく見誤ることが出てきます。だから必ず模型を作るんです。それに、最初のアイディアが最後の完成作になることはまずなく、何度も考え、模型にし、検討し、また模型にし・・・を繰り返すんです。だから、みなさんも話し合っては、専門家に見てもらい、金銭的な面や実現可能性などをアドバイスしてもらって、また検討するを繰り返してください。山は一度切り崩したら、元には戻せませんしね。」
漁師さんに通ずる部分もあるようで、うんうんとうなずいてらっしゃいました。
team SAKE はるか
チームサケ:集落のための東日本大震災復興支援サイト
team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。
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