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月曜日, 6月 6

岩井崎の記事(河北新報)

河北新報6月6日版に、岩井崎の記事が掲載されました。

ウェブ上でも「Kahoku Online Network」において、閲覧することができます。

津波免れ、避難者の「家」に 気仙沼・岩井崎の高台の民宿

team SAKE 足立


~~~以下掲載記事~~~


津波免れ、避難者の「家」に 気仙沼・岩井崎の高台の民宿


 潮吹き岩などの観光名所で知られる宮城県気仙沼市の岩井崎地区で唯一、東日本大震災による津波の被害を免れた民宿が、避難者を受け入れ続けている。震災直後は近くの住民が約2カ月にわたって身を寄せ、現在は2次避難者が生活する。「かつての観光地に戻ってほしい」。民宿を営む家族は復興を願いながら、被災者を支える。

 避難者を受け入れているのは、海に突き出た岩井崎の先端部の高台にある民宿「崎野屋」。畠山正朋さん(73)が夫婦で1973年に始め、現在は長男夫婦と4人で切り盛りしている。
 震災が起きた3月11日、畠山さん夫婦は民宿にいた。近所の人と海を眺めていると徐々に波が引いた後、急激に水位が上昇した。民宿がある標高約11メートルの高台を囲むように津波が押し寄せ、一時孤島となった。周囲の家々は「バリバリ」と音を立てて壊れた。
 市中心部につながる市道2本は、橋の落下とがれきで寸断された。11日夜は民宿で、周辺住民や近くの県気仙沼水産試験場の職員ら50人がろうそくの明かりを頼りに一夜を過ごした。
 12日以降は宿泊客向けに仕入れていた米や海産品、野菜を使って連日食事を提供。救援の飲料水が届くまでは、井戸水を沸かして飲んだり、生活用水に使ったりした。
 畠山さんは「近所の人たちも食料や毛布を持ち寄った。ライフラインが止まっても協力して支え合った」と振り返る。
 避難者は徐々に少なくなったが、受け入れは5月18日まで続いた。電気や水道が復旧した後の同22日以降は、2次避難者16人が身を寄せる。
 自宅が津波で流された同市本吉町三島の元船員三浦照夫さん(67)、捷美さん(66)夫婦は別々に避難していたが、この民宿で一緒に暮らすことができた。透析の治療を受けている捷美さんは「バランスのいい食事ができるし、風呂にも入れる」と感謝した。
 岩井崎地区にあったほかの民宿10軒はほぼ全壊した。畠山さんは「仲間だった同業者がいなくなってしまい寂しい。早く再建して観光客でにぎわう岩井崎に戻ってほしい」と話している。
(田柳暁)


2011年06月06日月曜日

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