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火曜日, 5月 3

5T組の5月1日~3日の報告

三陸組の様子です。

5A組と5M組は昨日(3日)の夕方合流してからほぼ丸一日、箱崎半島を丁寧に回った様です。
総勢8人ですから、いろいろな活動ができたようです。
また、後で報告があると思いますが、箱崎で鯉のぼりを必要としています。おうちにある方ぜひ、直送してください。http://teamsake.blogspot.com/1994/05/blog-post.html


5T組のリーダーつよしさんから連絡がありました。

初日の1日は、小渕浜の牡蠣(かき)の加工場で全員が作業をしました。
50艇の船を守り切った小渕浜集落です。
佐々木さん(社長さん)の加工場は泥まみれでしたので、2名を作業要員として残し、翌日は雄勝半島へ向かいました。

これまでにサケとしては4回、剛(つよし)さんだけでも3回訪れているので、とても深い信頼関係が築けているのでしょう。
訪問をとてもとても喜んでくださっているとのこと。

また、私たちのホームページ「集落の望み」を通じて、京都の魚屋さんの娘さんが、小渕浜が必要としていたものをセットにしてくれました。
奥さんは、「自分がお願いしたもの以外にも、あったらいいな。と思うものがぴったり入っていて、とてもうれしい。」と、感謝の気持ちを何度も表してくれました。
「集落の望み」にあった、マグカップやせんたくばさみの他にも、野菜や魚の乾物、乳液、かみそり、爪切り、お酒・・・そういったものだそうです。
なにより、お手紙には涙を浮かべ、「絶対復興するぞー!」と、社長さんも言ってくださったとのこと。

2日は、3人で雄勝半島のすずりの卸し屋さんを訪ねました。書道に使う硯(すずり)です。雄勝半島は、日本一のすずりの生産地なんですね。
今回のT組には、実家が筆の製造、販売をしているという書道具屋さんの方がいます。
すずりの卸し元を訪ね、見舞ってほしいというご両親の思いもあり、また、チームサケとしては、すずり業界、文化の復興を願い、訪ねました。
その方は、大須小学校という、大きな避難所で活躍されていました。
商工会の青年部の副代表もされているその方は、青年部として「雄勝半島から孤立する人を出さない」というモットーを持って、非常に細かく小集落の情報収集をされていたり、ホームページで必要なモノのマッチングをしていたりと、チームサケと共通する理念の下、積極的に活動されていました。

大須小学校では、透明の衣装ケースに物資を分類して詰め、透明性を高め、積み重ねています。
このシステムは作業がスムーズでとてもうまくいっているそうです。
更に衣装ケースが必要とのことです。(引き出しタイプではなく、蓋つきタイプが良い→http://teamsake.blogspot.com/2011/05/blog-post.html)

そのまま、雄勝半島の他の集落を回りました。
前回訪れた船越集落は、当時、多くの住民の方は大須小学校に集団避難していましたが、それでも5軒・10名ほどの方が集落に残っておられたところです。あるご夫婦の子どもさんは「海を見るのも怖い」と仙台に避難しましたが、「自分たちがここで頑張れば、いつか子供たちも戻ってくる」と、ご夫婦は集落に残る決心をされていました。
この集落の方たちにもう一度会いたかったのですが、時間をずらして二度訪れたものの果たすことはできませんでした。

この晩は、小渕浜で作業をしていた二人を拾って、大工のロブさんたちと牡鹿半島災害対策本部でテントを張って寝ました。

3日、再び雄勝半島へ
その後、再訪するために、韮の浜へ
韮の浜は、3日に一度ボランティアのお風呂がオープンしています。近くから30-40人の方が入りに来ています。
物資は足りているとのことでしたので、お酒を差し入れしました。 お酒はいつでもとても喜ばれます。

細浦は、「電気がほしい」という看板を掲げているようです。
以前訪れたときは、「水、カップラーメン求む!」 でした。回りの集落はすでに電気がきているところが多いので、忘れずに来てほしい。という思いもあってのことでしょうか。

この晩は、自分たちで泊まるところを確保しようとしていたら、また、小渕浜の社長からお電話があり、「ご飯を用意している。頼むから来てくれ!」とのこと。
結局、お世話になりました。
この晩は、遅くまでいろんなことを語り合い、今後の復興に向けた熱い思いを分かち合いました。
全員が胸や目頭が熱くなる体験をしたようです。

4日、本日は、港、海の清掃が始まっています。小渕浜はすべて船が生きているために、この作業ができるんですね。
漁業組合が動き始め、海の掃除が始まったとのこと。

復興への本気の一歩が前へ出ました。

電話報告:5Tつよし
報告投稿:team SAKE京都組 はるか

5月3日 5T組 韮の浜と雄勝半島

この日は、5T組5人全員で訪問チームとして動いた。
まず午前中は昨日も訪れた雄勝半島の船越集落に向かった。
前回お会いした時に連絡先を聞き忘れていて、何とかもう一度Sさんにお会いしたいと思い、本日も訪ねてみたがお会いできなかった。

その後、前回は道が通ってなくて行けなかった名振集落に。
港では地元の方と思われる男の人たちが復興作業をしていた。
作業の邪魔をしないように港を離れ、集落の高台の方へ。
孫と一緒に散歩していた、清水さんとおっしゃるおじいさんにお話を伺うことができた。
集落では今、船の航路を整備中だが、船はほとんど流されてしまったそうだ。
今は大須小学校に避難していて、家の片付けに戻っておられたところ。
電気はまだ通っておらず、まだ家に住めない。
清水さんは漁が大好きで、引退後もアワビを採っていらしたそうだ。
とても海が豊かで、引退後の趣味でもけっこう採れるそうだ。
引越ししてしまうと漁業権を失ってしまうこともあり、ここでずっと生活していきたいという願いはあるが、13日に一旦山形の方へ移動すると仰っていた。
震災の時、清水さんは車で移動中だったそうで、津波の被害は免れたが、車での移動が不可能になり、2日間かけて歩いて山を超え、ご自宅に帰り着かれたそうだ。
家族の方々はおじいさんと連絡が付かず、半ば諦めかけておられたところに、おじいさんが帰ってこられたので大変驚かれたそうだ。
清水さんにお酒、お孫さんに八ツ橋をお渡ししたところ、大変喜ばれた。

韮の浜
その後、さらに北にある前回訪れた韮の浜の佐藤さん宅を訪問する。
集落の中でまだ一部通ってないところもあるが、電気はきている。
水道はまだで、物資の配給は1日に1回。
配給された物資の写真を撮らせて頂いた。



風呂を作るボランティア団体が来ていて、3日に一回風呂の日があり、周辺住民約40人が入りに来るそうで、お話しを聴いている間も入れ替わり立ち替わり住民の方々がお風呂に入っておられた。
共同生活されていた小野寺さんは、前回訪問の後に必要としていた発電機を確保され、仮設を作って引っ越しされたそうで、お会いすることは出来なかった。
物資で不足しているものはありますか?と尋ねると、「物資は足りています。ありがとね。」と言われました。
日本酒は大変喜ばれ、「呑んでく?」と誘われましたが、そのお気持ちだけを有り難くいただきました。
「助け合いだものね。」とお話を伺っている間、何度も繰り返されていたのが印象的でした。

5T組、つよし、エノキ

月曜日, 5月 2

5月2日(月)5A組の報告

5月2日(月)
岩手県宮古市北部中ノ浜
朝から船の修理をしているおじさんと話す。船大工でたくさん修理する船があるという。
現在、物資は足りている。人手が欲しいのは瓦礫の片付けということ。
岩手県宮古市北部中ノ浜
女遊戸(おなっぺ)という集落
前連絡員(部落長)のMさんと話す。
昭和の津波の教訓で家を一メートル上げていたから助かったとのこと。それでも家は一階が浸水。家族総出で片づけをして、ようやくきれいになったが、農作業は今年は無理だということ。幼少のころより祖父母から津波の怖さを教えられていた一人の女性が、みんなに声をかけたおかげで、神社に避難できたと奥さん。
また、連絡員さんが一人暮らしのお年寄りに声をかけ、地震後30分に津波が来たにもかかわらず集落に死傷者はなかった。津波の話から昭和36年の大火、家族 の歴史まで話が及ぶ。
松月(まっつき) (Sさん)
流された家はないが、作業場などは多くが失われた。津波当日は町に出かけており、家に帰ってきたら津波が家の前まで流れた跡がありびっくりしたとのこと。53年前に開拓した田畑が自分たちの代限りで終わってしまうと話される。だが、家の周りの畑を整理し、サトイモなどを植えられていた。堤防も、200本近くあった防潮林も役に立たず、津波がきたという。大工の息子さんや、消防団員の息子さん、農業のお父さんなど、家族総出で瓦礫の撤去を行っている。
日出島
高台にある家を除きほとんど家が残っていない。10人ほどが亡くなる。
重茂半島 太田浜
被災証明書をもらってきたというおじいさんと、冷蔵庫の修理をされているおじさんと話す。 家は助かったが、畑はめちゃめちゃ、裏山に駆け上って難を逃れた。
白浜
自衛隊の人が食事も持ってきてくれる。

鵜磯 (Nさん)
林業と漁業をされている。地域で支給されるので、物資は足りているが、仕事が問題。これからの地域を考えるとつらい。漁業は壊滅的。椎茸の最盛期には森林ボランティアが盛岡から入る。

上加村 (Kさん他)北地区公民館
現在、避難していた人は温泉に招待されていて、仮設住宅ができるまでそこで過ごす事に。公民館は地域の人の物資の集積所に。今は養殖中心で、漁業がこれからどうるのか。わかめを生協におろしているので、生協から支援がはいり、助かった。新潟から精神科医がくるなど、全国からボランティアがきてくれる。調味料や、編み物セット、腹巻帽子、長靴、手袋などを喜んでもらった。

姉吉
明治・昭和の津波でそれぞれ2、4人しか生き残らなかったが、その時の教訓を記した石 碑より上に家を建てた結果、今回流された家はない。

千鶏(ちけい) (Sさん)
35~50人の死者・行方不明者が出た南区。総代議長の佐藤さん。漁師で、ます、まぐろ、秋鮭、わかめの養殖を生業に。27のわかめ養殖者がいたが、続けるのは8軒のみ。自宅の倉庫で物資の仕分け作業をしている。作業用のゴム手袋、長靴、レインコートなどは喜んでもらえる。 (白浜、姉吉は物資を渡していない)

■今日のエッセンス
物資は足りているので、仕事や生活のことが気がかりになっている人が多く、そうしたことに 関わりのあるボランティアなら喜ばれる。
重茂半島全域に渡って集落の結びつきが強いと感じた。

team SAKE 5A ゆうゆ、河田、足立
編集 はるか

5陣M組も京都を出発


京都組 はるかです。 ”台風一過”で家がとっても静かです。
私は今、助成金の申請書を書いています。

今朝は、NHKの特集番組で馬場中山集落が特集されていました。
1陣の足立らも映ったそうです。私観てません。大家さんや家族が教えてくれました。


本日、20時半頃5M組を見送りました。
16時半頃から順にお手伝いに来ていただき、ありがとうございました。
今回は、ケータリングの「かめのみみ」のおふたりが、おいしい夕飯を作りに来てくれました。
また、同居人が作って行ってくれた鯛飯もあり、5M組は、幸せな食卓を囲んでの出発となりました。
おいしいおにぎりも持っています。
お見送りにも華があり、これまでの7回で一番おだやかな出発となりました。




さて三陸では・・・
5A組は本日、宮古の北部からスタートし、中ノ浜、女遊戸(おなっぺ)、松月(まっつき)、日出島(ひでしま)の4つの集落に行き、重茂(おもえ)に向かったと聞いています。
詳しい報告はまた後ほどあると思います。

一方5T組は、小渕浜集落に2名を置いて、3名で雄勝半島を回ったようです。「孤立集落を出さないようにしよう。」という商工会の動きもあり、理念を同じくしているteam SAKEは、今後もつながっていければと思います。

5M組は、明朝から活動を始めます。

現在、5A組5T組には、それぞれ女性2人、男性3人がおります。
5M組は運転ができる男性3人が乗っています。
明日には、箱崎にて車の乗り換えがあります。さぁてうまくいくのでしょうか。

team SAKE 京都組はるか

ゴールデンウィーク第5陣のはじまり

私たちteam SAKEは、このゴールデンウィークは、3組に分かれて活動をしています。
2組は、4月30日(土)に京都を無事発ち、すでに活動を始めています。
もう1組は、5月2日(月)の晩に京都を発つ予定です。
京都組(残り組)は数名で、京都組と三陸組でどちらが本部かわかりません。

それぞれ、リーダーの名前をとって、5A、5T、5Mと呼ぶことにしました。
5A(A足立大組)
5T(三枝Tつよし組)
5M(川手Mみつ春組)

ATMになってしまいました。

途中で、車の交代やメンバーの交代があり、本人たちもこんがらがるような編成ですが、それぞれ得意とする分野が異なり、活動に幅が出ることと期待しています。

4月30日(土)
5Aと5T(2台の車、10名)は、IDROjapanhttp://www.idrojapan.org/のみなさん(2台11名)と共に、京都を出ました。
出発間際は、国際色豊かでした。
小渕浜集落を紹介した大工のロバートさんのグループの方たちです。主に京都在住の外国人の方です。

5月1日(日)
5A組は、仙台のSAで、5T組とIDROjapanの皆さんと分かれてから、盛岡へ そこから海の方へ
岩泉から小本、宮古へと進みました。

一方で、5T組は、小渕浜へ
小渕浜と言えば、3陣が初めて訪れたときの報告が印象に残っています。
「地震の直後に、50名ほどの漁師が全員で沖に出て、津波から船を守りきった。陸に帰った時の光景にショックを受けた。」という内容の日記だったと思います。
船を守りきった時の誇りと、家や集落がボロボロになっていた時のショックは想像できない範疇だと思います。

さて、IDROjapanの方たちは、漁具を探すボランティアに行き、
team SAKE 5T組は、上記のお話を聞かせていただいた方(team SAKEでは、社長と呼んでいます。)の事務所の泥かきや荷物出しのお手伝いをしたそうです。相当な体力仕事だったと思います。
15時に作業を終えたIDROjapanの方たちも、その後手伝ってくれたようです。
team SAKEからは、持久力に自信のある2人が数日滞在して、この仕事を続けることになりました。
この2人は、某大学自転車部の出身で、三陸地方は自転車でくまなく走っているので、恩返しの思いもあると、出発前に話してくれました。

同じころ5A組は、宮古に到着したものの、遅い時間だったため、集落の直接訪問はせずに、明朝訪問する集落の目星を4,5ヶ所つけたのみです。しかし、現時点でもまだ丁寧に周る必要がありそうだと判断したようです。

一ヶ所だけ「摂待せったい」という集落でおばあさんとお話ができたそうです。
物資は特に必要ないとのことで渡していませんが、回りが全て流されて、その一軒しかない状況だそうです。
5月2日は集落訪問後、重茂半島に行く予定です。


毎度京都組は、出発組を送り出すと、やれやれ~とへたり込んでしまいます。
出発前は、大騒ぎなんです。 おそらくどこのボランティアグループもそうではないかと思います。
今晩は6度目のどたばた劇です。応援求ム!

team SAKE 京都組 はるか

5月2日 5T組 小渕浜と大須小学校(雄勝半島)

5月2日、5T組は集落を訪問するチームと小渕浜で作業をするチームに分かれた。

作業チーム
昨日に引き続き、作業場の泥だしを一日中行う。
一階奥の部屋にあった巨大冷凍庫にはヘドロが溢れかえっており、かなりの時間と労力を費やしてなんとか綺麗になった。
また、二階に通じる扉が開かず、壁の崩れた部分から上ってみると、机やロッカーが積み重なって扉を塞いでいた。
それらを撤去し、事務所へ通じる通路を確保したところで夕方になり、作業を終了した。

訪問チーム
雄勝町大須小学校避難所
今回のチームに車を提供して同行してくださっている福岡さんの繋がりで、硯卸の高橋頼雄さんに出会う。
雄勝町は全国でも有名な雄勝硯の産地であり、その石を用いた雄勝瓦の家屋も雄勝半島にはちらほら見られる。
高橋さんは現在この避難所運営の中心メンバーの一人だそうだ。
team SAKEの活動を紹介すると、非常に共感していただけた。
「一つの場所に対して細く長く支援して頂けるのが一番有り難い。初めて来たようなボランティアにはいろいろ頼みにくい。同じ人なら安心して細かい要望も話すことができるだろう。」と仰られた。
ひと段落したら、硯職人を集めて何とかしてゆきたいそうだ。
関西の方は経済的にまだ大丈夫なので、そちらと協力したいそうだ。
救援物資は結構あるが、整理が追いつかず、整理、活用、再輸送の観点から、プラスチック製の衣装ケースが大量にほしいと仰られた。
また、高橋さんがもう一つ気にしておられることは、被災地の子供のケアだそうだ。
「救援物資にお茶などはあるが、コーラのようなものは無い。このような状況なのでいろいろ我慢していると思う。可哀想だ。」ともお話しいただいた。
後ほど小学生と話す機会があり、話しを聴くと、支援物資のカップラーメンが毎回同じ味で飽きたと話してくれた。
小学校は高台にあったので無事だったが、入江にあった雄勝町の中心部は全滅だそうだ。

船越集落
時間をずらして二回、第三陣の時に訪問したSさんを訪ねたが、お会いすることは出来なかった。
この集落は少し高台にある家だけが津波を免れ残っている。
小学校の校庭には、災害のがれきが木材、鉄、車、布団等に分別され集められていた。



その後小渕浜に帰ってきて、小渕災害対策本部の向かいの駐車場でテントを張って寝た。
前回牡鹿半島に来た時には大きな余震があり女川原発のことが気になるという話をしていたら、長沢さんがガイガーカウンターを貸してくれた。
次の日朝に計ってみたら、京都市内や石巻市内で計った時は0,07マイクロシーベルト前後だったが、そこでは三倍の0.21マイクロシーベルトの数値を示していた。
女川原発に近いと数値は少しあがるようだ。



5T組、つよし、エノキ

日曜日, 5月 1

5月1日 5T組 小渕浜



渋滞もなく運転手が三名もいたので徹夜で車を走らせることができ、5月1日午後には小渕浜到着。
家の中の片付けが終わってから、ロブさん達(IDRO Japan、国際災害支援団日本の方々)と共に社長の作業場の泥だしを行う。
牡蠣の加工を行うための大型機械をみんなで傍に寄せ、シャベルで泥を籠に入れ、外に運び出した。
泥中に埋れていた漁具はゴミとは別に集めた。
震災から一ヶ月以上経過していて、溜まった海水は腐り、悪臭(卵の腐ったような臭い)を放っていた。
約三時間、みんなで力を合わせて作業に没頭した。
満潮の時刻が近づいてきたらしく、作業場のすぐ近くまで水が来たので作業を中止した。
ロブさんの知合いの大工さんも社長宅に来られ、お風呂場の建設(移築)がスタートした。
夜、社長や奥さんと会話をしてゆく中でいろいろなことを教えていただいた。
雄鹿半島は、震災によって1.2m沈んだそうだ。
そのため、作業場のすぐ近くまで海水が来るようになった。
半島の道路は所々に亀裂が走っているが、半島の先に向うように走ると、階段を降りてゆくような感覚を覚えるのは、気のせいだけではないかもしれない。
小渕浜は復興に向けて動き出しており、秋のワカメ養殖再開を目標に海や港の整備を一昨日からみんなで始めたそうだ。

夜に語り合っている時社長は「皆さんへの恩返しを考えた時に、小渕の復興しかないだろうと、私も、地区の若い連中もみんなそういう想いになってきている。震災直後は、もう辞めようかと思うこともあった。でも、皆さんと出会い、頑張ろうという気になった。本当に感謝しています。頭が下がると言うよりは、頭が上がらないね。」と語ってくださった。
また、奥さんは息子さんの話しをして下さった。
漁師をされている息子さんは、震災当時、ある船の乗組員として働いておられ、船が石巻市に入港すると直ぐに小型の船に物資と数人の仲間を載せて小渕浜に海から入ってこられたそうだ。
奥さんは、息子さんとの無事の再会も嬉しかったが、息子さんの活躍ぶりに「成長したなぁと思った。」と嬉しそうに話してくださった。
社長さんが毎朝、集落での復興作業に行かれるときの自転車は息子さんが届けてくれた物だそうだ。

この日は、お風呂も夜ご飯もごちそうになり、寝床まで用意して頂いた。
team SAKEとして五回目、つよしは四回目の訪問であるが、今まで何度もご飯、お風呂、泊まりを勧めて頂いていたが、すべてお断りしていた。
前回訪れた時、京都に帰る前に顔を出したら、お母さん(社長の奥さん、ボランティアみんなからお母さんと呼ばれていました)から是非泊まっていって欲しいと誘って頂いていた。
今回は、一度はお断りしたが、是非との言葉をいただいたのでお世話になることを決めた。

5T組、つよし、エノキ