両丹日日新聞5月31日版に、Team SAKEの活動紹介記事が掲載されました。
ウェブ上でも「WEB両丹」において、閲覧することができます。
■被災地支援講演会:三陸海岸の孤立集落へ チームSAKE
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
両丹日日新聞2011年5月31日のニュース
被災地支援講演会:三陸海岸の孤立集落へ チームSAKE
福知山市牧の市リサイクルプラザでは29日、市民団体の福知山環境会議(田倉徹也代表)の総会に合わせ、記念講演の講師の一人として府地球温暖化防止活動推進センターの川手光春さんが招かれた。
「東日本大震災 被災現場での支援活動を通して感じたこと-今、私たちにできること」と題して、被災地やボランティア活動の様子を収めた写真をスクリーンで紹介しながら話した。
川手さんは、復興支援をする京都を拠点とした「チームSAKE」主メンバー。行政などを通じた大規模、画一的な支援とは別に、集落それぞれの望みに沿った支援に力を入れている。
2回にわたって、2週間以上、三陸海岸沿いの孤立集落に出向き、地元の人たちと対話を重ね、毛布や調味料など生活支援物資を届けるなどの活動をした。
「復興が一番早かったのは自衛隊員や土木作業員らが連携しての道路、次に早かったのが電気で、瓦礫の中に電柱が建て直されているところも多い。水はいまだに不足しているところが多い」と話したあと、「瓦礫の粉塵、ヘドロの悪臭、続く余震など、現地に行ってみないと分からないことがたくさんある。被災地の人たちは明るく接してくれる人が多く、逆に勇気づけられることもある」と話した。
「今後は、現地の産物を京都に持ち帰って売る経済支援や、集落の人たちに自立の意識を持ってもらうため、将来像の実現に向けての協力をすることも大切になると思う。支援の形はいろいろあり、刻々と変わってくる。現地でのボランティアや活動している団体への支援、義援金を送る活動、節電などに努め、地元の災害時に備えて自治会のつながりを強めることも忘れないでほしい」と話した。
チームサケ:集落のための東日本大震災復興支援サイト
team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。
ENGLISH version
火曜日, 5月 31
月曜日, 5月 30
箱崎白浜の記事(毎日新聞)
毎日新聞5月30日版に、箱崎白浜の記事が掲載されました。
ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。
■東日本大震災:大雨で集落孤立の恐れ 釜石・白浜地区
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
東日本大震災:大雨で集落孤立の恐れ 釜石・白浜地区
東日本大震災で被災した岩手県釜石市箱崎町の白浜地区では、お年寄りを中心に避難所から自宅に戻る人が出始めている。しかし、集落につながる唯一の市道は路肩が崩壊し、梅雨や台風による雨の影響も心配だ。地盤沈下のため高潮で冠水する恐れもあり、このままでは孤立化しかねない。【黒田阿紗子】
東北地方は30日、温帯低気圧と前線の影響で風雨が強まった。箱崎半島の先端、白浜地区に向かう道路は立っているのがやっとで、道路には波が打ち寄せ水しぶきが立っていた。
市中心部から約15キロ離れた同地区では115世帯のうち60世帯が津波被害を免れた。
「やっぱし住み慣れた土地が一番。父ちゃんの体調もまず、いいみたい」。4月末、漁業の佐々木シゲ子さん(68)は肺がんを患う夫(77)とともに、いち早く地区の山手の自宅に戻った。
津波で、半島は付け根部分まで壊滅状態となった。地区は孤立し、全世帯が自衛隊のヘリコプターで内陸の市民体育館へと避難した。夫は不眠を訴えるようになり、4月に入って口癖のように「帰るべし」と繰り返し、帰宅を決断したという。
以前の暮らしとはほど遠い。2隻の漁船は流され、収入はほとんどない。最大の不安は半島を縦断する一本道の市道だ。道路に沿った広大な砂浜が津波でさらわれ、一部区間は道幅が半分に削られてしまった。地盤沈下で高潮になると通行できなくなる恐れがある。
地区に店はなく、市道を通らなければ買い物にも行けない。避難世帯もあり、隣近所は留守だ。「夜は不気味なほど暗くて心細い」
だが、市防災課の担当者は「代替道路や防潮堤の整備を検討する必要があるが、見通しは立たない」と話す。
一方、佐々木寿子さん(40)は自宅は無事だったが、避難所暮らしを続ける。戻っても小学5年の長女(10)と4年の長男(9)が学校に通うには、一本道を避けられない。「冠水して家に帰れなくなったり、スクールバスが事故に巻き込まれないか心配」。地区外の仮設住宅の入居を申し込んでいる。
県はこうした事情から、白浜地区の住民は被災していなくても仮設住宅の入居を認める方針だ。町内会長の佐々木孝郎さん(63)によると、子どものいる世帯のほとんどが仮設への入居を希望しているという。孝郎さんは「しばらくは年寄りが白浜を守っていかねば」と語った。
毎日新聞 2011年5月30日 11時16分(最終更新 5月30日 12時19分)
ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。
■東日本大震災:大雨で集落孤立の恐れ 釜石・白浜地区
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
東日本大震災:大雨で集落孤立の恐れ 釜石・白浜地区
東日本大震災で被災した岩手県釜石市箱崎町の白浜地区では、お年寄りを中心に避難所から自宅に戻る人が出始めている。しかし、集落につながる唯一の市道は路肩が崩壊し、梅雨や台風による雨の影響も心配だ。地盤沈下のため高潮で冠水する恐れもあり、このままでは孤立化しかねない。【黒田阿紗子】
東北地方は30日、温帯低気圧と前線の影響で風雨が強まった。箱崎半島の先端、白浜地区に向かう道路は立っているのがやっとで、道路には波が打ち寄せ水しぶきが立っていた。
市中心部から約15キロ離れた同地区では115世帯のうち60世帯が津波被害を免れた。
「やっぱし住み慣れた土地が一番。父ちゃんの体調もまず、いいみたい」。4月末、漁業の佐々木シゲ子さん(68)は肺がんを患う夫(77)とともに、いち早く地区の山手の自宅に戻った。
津波で、半島は付け根部分まで壊滅状態となった。地区は孤立し、全世帯が自衛隊のヘリコプターで内陸の市民体育館へと避難した。夫は不眠を訴えるようになり、4月に入って口癖のように「帰るべし」と繰り返し、帰宅を決断したという。
以前の暮らしとはほど遠い。2隻の漁船は流され、収入はほとんどない。最大の不安は半島を縦断する一本道の市道だ。道路に沿った広大な砂浜が津波でさらわれ、一部区間は道幅が半分に削られてしまった。地盤沈下で高潮になると通行できなくなる恐れがある。
地区に店はなく、市道を通らなければ買い物にも行けない。避難世帯もあり、隣近所は留守だ。「夜は不気味なほど暗くて心細い」
だが、市防災課の担当者は「代替道路や防潮堤の整備を検討する必要があるが、見通しは立たない」と話す。
一方、佐々木寿子さん(40)は自宅は無事だったが、避難所暮らしを続ける。戻っても小学5年の長女(10)と4年の長男(9)が学校に通うには、一本道を避けられない。「冠水して家に帰れなくなったり、スクールバスが事故に巻き込まれないか心配」。地区外の仮設住宅の入居を申し込んでいる。
県はこうした事情から、白浜地区の住民は被災していなくても仮設住宅の入居を認める方針だ。町内会長の佐々木孝郎さん(63)によると、子どものいる世帯のほとんどが仮設への入居を希望しているという。孝郎さんは「しばらくは年寄りが白浜を守っていかねば」と語った。
毎日新聞 2011年5月30日 11時16分(最終更新 5月30日 12時19分)
土曜日, 5月 28
小渕浜と牡鹿半島の仮設住宅の記事(毎日新聞)
毎日新聞5月28日版に、小渕浜の記事が掲載されました。
牡鹿半島の仮設住宅事情に関しても書かれています。
ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。
■仮設住宅:盆までに全員入居厳しく…宮城・沿岸部で遅れ
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
仮設住宅:盆までに全員入居厳しく…宮城・沿岸部で遅れ
東日本大震災で被災した宮城県で、菅直人首相が掲げた「お盆のころまでに被災者全員の仮設住宅入居」の目標達成が困難になっている。集落維持や農漁業再生などを求める被災者の要望を受けて、三陸沿岸自治体が域内での用地確保に奔走し、7月中旬までの着工が難しい状況だからだ。県は内陸部に建設したい考えで、沿岸市町とは落差がある。着工の進捗(しんちょく)率は、100%に達した内陸自治体がある一方、三陸沿岸自治体は5割前後にとどまっている。【中尾卓英、宇多川はるか】
◇石巻など着工5割
県内最多の8000戸が必要な石巻市の進捗率は5割を切る。市は今月上旬、必要戸数が供給を上回る市内3地区で、自治会などに民有地提供を依頼。「津波に浸水せず最低10戸が建設できる」「ライフラインが整っている」などの条件を満たした牡鹿地区の6カ所で今月中旬からようやく樹木伐採、切り土などの造成工事を始めた。
約3200戸が必要な気仙沼市の進捗率は59.4%。津波と火災に見舞われた中心部では、公有地に建設する仮設住宅194戸に対し、1260件の申し込みが殺到した。
市は6月末を目標に今後必要な約1320戸分の用地確保に駆け回るが、民有地提供を申し出た約130件のうち、建設条件を満たすのは1割程度。市は31日の臨時市議会で、さらなる民有地確保を目指し造成費と賃料支払いを提案する方針だ。県は民有地を使用する場合は無償を条件に挙げるが、土地確保には賃料が必要と判断した。
菅原茂市長は「県は仮設住宅を内陸部に建て早く仕事を終えたいだろうが、私たちの使命は市民に住み続けてもらうこと。また、避難生活長期化に備え、クーラー設置など環境改善を図りたい」と話す。
県は震災直後、仮設住宅が3万戸必要と試算したが、賃貸住宅入居や自宅補修する被災者が増え、今月19日に2万3000戸に下方修正した。お盆入居には1カ月前の7月中旬までに着工する必要があるとみている。
県土木部は「梅雨や夏になると、避難所ではさらに体調を崩す人が出てくる。内陸部に土地が十分にあり、沿岸の市町にはできるだけ早く内陸部(の自治体)に引く判断をしてほしい」と話している。
◇自力で再生の地区も
域内での仮設住宅用地の確保が難航し、着工進捗率が5割を切る宮城県石巻市。同市の牡鹿半島・小渕浜地区では、民有地への仮設住宅建設を渋る行政側を住民が説き伏せ、住民が確保した土地での建設を認めさせた。中心になった行政区長の石森政彦さん(69)は、海近くの高台で進む造成工事を見ながら「地元で生活再建する道筋が見えてきた」と顔をほころばせた。
石森さんらは4月初旬、市に「現地を見に来てくれ」と訴えたが、なしのつぶて。高台にある耕作放棄地の所有者8人に「5年間、無償で土地を貸してくれないか」と声をかけて同意を得、自らも土地提供を決めた。仮設住宅100戸が建てられる用地を確保した。
だが4月30日、牡鹿地区の区長を集めて初めての説明会を開いた市幹部は「県が民有地は駄目だと言っている」といったん断った。それでも石森さんらは説得を続ける。県の担当者が視察に来たのは今月10日。「この土地ならできます」。15日に樹木伐採が始まった。完成は7月末の予定だ。
9割以上が漁業に携わる同地区。8割を超す130戸が流失・全壊した。住民は自らの力で食料や簡易水道を確保するなど漁師町の絆で避難生活の苦難を乗り切ってきた。「今は家族と離ればなれだけど、海からは離れられねえ」「家も漁具の入った納屋もすべて流されてた」。住民の声を聞き、石森さんは「亡くなった人のためにも、もう一度古里を再生させねば」との思いでやってきた。
石森さんは地区の世帯構成を調べ、どんなタイプの住宅が必要かを市に説明するつもりだ。「地元に仮設住宅が建てられるめどがついて、やっとみんなが家族や仕事のことを考えられるようになってきた。これからだ」と前を見据えた。【中尾卓英】
毎日新聞 2011年5月29日 13時02分(最終更新 5月29日 16時00分)
牡鹿半島の仮設住宅事情に関しても書かれています。
ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。
■仮設住宅:盆までに全員入居厳しく…宮城・沿岸部で遅れ
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
仮設住宅:盆までに全員入居厳しく…宮城・沿岸部で遅れ
東日本大震災で被災した宮城県で、菅直人首相が掲げた「お盆のころまでに被災者全員の仮設住宅入居」の目標達成が困難になっている。集落維持や農漁業再生などを求める被災者の要望を受けて、三陸沿岸自治体が域内での用地確保に奔走し、7月中旬までの着工が難しい状況だからだ。県は内陸部に建設したい考えで、沿岸市町とは落差がある。着工の進捗(しんちょく)率は、100%に達した内陸自治体がある一方、三陸沿岸自治体は5割前後にとどまっている。【中尾卓英、宇多川はるか】
◇石巻など着工5割
県内最多の8000戸が必要な石巻市の進捗率は5割を切る。市は今月上旬、必要戸数が供給を上回る市内3地区で、自治会などに民有地提供を依頼。「津波に浸水せず最低10戸が建設できる」「ライフラインが整っている」などの条件を満たした牡鹿地区の6カ所で今月中旬からようやく樹木伐採、切り土などの造成工事を始めた。
約3200戸が必要な気仙沼市の進捗率は59.4%。津波と火災に見舞われた中心部では、公有地に建設する仮設住宅194戸に対し、1260件の申し込みが殺到した。
市は6月末を目標に今後必要な約1320戸分の用地確保に駆け回るが、民有地提供を申し出た約130件のうち、建設条件を満たすのは1割程度。市は31日の臨時市議会で、さらなる民有地確保を目指し造成費と賃料支払いを提案する方針だ。県は民有地を使用する場合は無償を条件に挙げるが、土地確保には賃料が必要と判断した。
菅原茂市長は「県は仮設住宅を内陸部に建て早く仕事を終えたいだろうが、私たちの使命は市民に住み続けてもらうこと。また、避難生活長期化に備え、クーラー設置など環境改善を図りたい」と話す。
県は震災直後、仮設住宅が3万戸必要と試算したが、賃貸住宅入居や自宅補修する被災者が増え、今月19日に2万3000戸に下方修正した。お盆入居には1カ月前の7月中旬までに着工する必要があるとみている。
県土木部は「梅雨や夏になると、避難所ではさらに体調を崩す人が出てくる。内陸部に土地が十分にあり、沿岸の市町にはできるだけ早く内陸部(の自治体)に引く判断をしてほしい」と話している。
◇自力で再生の地区も
域内での仮設住宅用地の確保が難航し、着工進捗率が5割を切る宮城県石巻市。同市の牡鹿半島・小渕浜地区では、民有地への仮設住宅建設を渋る行政側を住民が説き伏せ、住民が確保した土地での建設を認めさせた。中心になった行政区長の石森政彦さん(69)は、海近くの高台で進む造成工事を見ながら「地元で生活再建する道筋が見えてきた」と顔をほころばせた。
石森さんらは4月初旬、市に「現地を見に来てくれ」と訴えたが、なしのつぶて。高台にある耕作放棄地の所有者8人に「5年間、無償で土地を貸してくれないか」と声をかけて同意を得、自らも土地提供を決めた。仮設住宅100戸が建てられる用地を確保した。
だが4月30日、牡鹿地区の区長を集めて初めての説明会を開いた市幹部は「県が民有地は駄目だと言っている」といったん断った。それでも石森さんらは説得を続ける。県の担当者が視察に来たのは今月10日。「この土地ならできます」。15日に樹木伐採が始まった。完成は7月末の予定だ。
9割以上が漁業に携わる同地区。8割を超す130戸が流失・全壊した。住民は自らの力で食料や簡易水道を確保するなど漁師町の絆で避難生活の苦難を乗り切ってきた。「今は家族と離ればなれだけど、海からは離れられねえ」「家も漁具の入った納屋もすべて流されてた」。住民の声を聞き、石森さんは「亡くなった人のためにも、もう一度古里を再生させねば」との思いでやってきた。
石森さんは地区の世帯構成を調べ、どんなタイプの住宅が必要かを市に説明するつもりだ。「地元に仮設住宅が建てられるめどがついて、やっとみんなが家族や仕事のことを考えられるようになってきた。これからだ」と前を見据えた。【中尾卓英】
毎日新聞 2011年5月29日 13時02分(最終更新 5月29日 16時00分)
木曜日, 5月 26
船越からの連絡
※船越集落とは、一刻も早く復興し、モデル地区になって、船越出身の方や、他の集落の方を元気づけられれば、と立ち上がり、全力で動いている漁師の村です。
雄勝半島、船越集落の中里さんとのお話から、みなさんと共有したいことをお知らせします。
漁師さんたちは少しずつ力を取り戻している様子です。
引き揚げた18隻の船のうち、15隻が直せば使えそうな状況だそうです。
船を見たときの漁師さんは、「血が騒ぐのを感じた。」と言っておられました。
また、フナムシが海に戻ってきた。思っていた以上に海がきれい。海産物がよく育っている。など、その都度、歓声を上げて連絡が来ています。
「おれたちは、やっぱり漁師なんです!海に出れるだけで、元気になる。」と、言っていました。
本日より、瓦礫の撤去や浜での作業が、仕事として雇われることになりました。
これにより29名が働くことができています。
光が見えてきているとのこと。
現在、ワカメの放射能の検査中ですが、もしも出荷できる状況であれば、いち早く(最短で6月1日)売り出して、船越出身の人たちを元気づけたい、他の集落の人たちの復興への希望になればとのこと。
昨日は、大量にワカメをボイルしました。
塩蔵ワカメのための塩が大量にいるとのことでしたが、それまで仕入れていた塩が仕入れられず、チームサケに連絡がありました。
サケメンバーの西尾がいろいろなところにかけあった末(それぞれ被災されていて自社の復興で精いっぱいな状況)、東日本ソルトの雄勝半島出身の方とつながり、動いていただきました。
その方は先週、雄勝に帰ってがっかりして戻って来たということで、船越がわかめをやるというので驚いていると話してくれました。
その後、すぐに漁師さんたちも動き、昨日、10tの塩が直接届けられました。
小学校の瓦礫の撤去も進み、きれいな部屋を一つずつ作っています。
内陸に避難している集落の方たちが帰ってきた時やボランティアの人が来た時の休める場所にするためです。
今日は、京都の大工のロバートさん(IDRO JAPAN代表)が、船越小学校に冷蔵庫と洗濯機と電子レンジを届けてくれる予定です。
冷蔵庫などがあれば、集落に帰ってこられた方たちも、より快適に過ごせることと思います。
船越には3名の大工さんがいますが、(350名の住民のうち)
皆、石巻市内に引っ張りだこで、集落内の大工仕事が全く手つかず状態です。
大工さんの訪問は短い時間であっても、力になると思います。
漁師さんたちも、修理などできるそうですが、時間のほとんどを浜での作業(漁具の回収や、瓦礫の撤去)や陸での作業(集落の人にとって大事なものがないか探しながらの作業です。また、まだ見つかっていない方も同時に探し続けておられます。)に費やしていているのが現状です。
船越の復興についてアドバイスなどの面で協力することを表明してくださっている建築士の方たちが出てきました。
心強いです。
同時に、報道を通じてわかることや、電話連絡などからわかることですが、集落の解散や集落からの反対の声などが大きくなってきています。
team SAKE 大関はるか
以下は、足立から記事の共有です。
足立です。
女川町は「集落の統合」による復興計画を町が示し、住民側が反発しています。
町長の「効率と安全を重視した」という言葉が、多様性や土地とのつながりなど多くの要素が考慮されない状況を鮮明に浮かび上がらせています。
集落にとって、いよいよ正念場です。
東日本大震災 高台移住計画に漁業の町から反発の声
毎日新聞 5月22日(日)20時57分配信
東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県女川町で22日、町の復興計画策定に向けた住民公聴会が始まった。町は沿岸部の住宅を高台に集約して住宅団地にする構想を説明。しかし、漁港から離れて暮らすことに住民からは一斉に反発の声が上がり、復興の道のりの困難さをうかがわせた。
震災で、同町と石巻市にまたがって立地する東北電力女川原発は大惨事には至らなかったが、町沿岸部は津波でことごとく破壊された。町は5月初旬、安住宣孝町長らが中心となり復興計画案を策定。公聴会は22日は町内2カ所で開かれ、計約230人が参加した。
町は公聴会で(1)安心・安全な港まちづくり(2)港町産業の再生と発展(3)住みよい港まちづくり--を柱にした復興の基本的考えを提示。内陸の高台に住宅地6カ所を造成して、沿岸に暮らす漁師らに移住してもらい、漁港は集約させるという計画を説明した。
しかし、漁師ら住民側から「先祖代々の土地や家があるから漁へのパワーが出る」「育った土地を捨てるわけにはいかない」などの反対意見があがった。
避難場所の秋田県から来た同町竹浦の漁業、鈴木誠喜さん(64)は「古里は忘れられない。他の場所に移るとなれば、希望がなくなる。長年暮らした、海が見える場所では駄目か」と町長に迫った。
公聴会後、安住町長は「効率と安全を考えた案を出したつもりだが、反対する気持ちも分かる」と語った。
公聴会は27日にも2地区で開催。町復興計画委員会は構想計画の中間答申案を8月上旬までにまとめるという。【石川忠雄、川上晃弘、宇多川はるか】
雄勝半島、船越集落の中里さんとのお話から、みなさんと共有したいことをお知らせします。
漁師さんたちは少しずつ力を取り戻している様子です。
引き揚げた18隻の船のうち、15隻が直せば使えそうな状況だそうです。
船を見たときの漁師さんは、「血が騒ぐのを感じた。」と言っておられました。
また、フナムシが海に戻ってきた。思っていた以上に海がきれい。海産物がよく育っている。など、その都度、歓声を上げて連絡が来ています。
「おれたちは、やっぱり漁師なんです!海に出れるだけで、元気になる。」と、言っていました。
本日より、瓦礫の撤去や浜での作業が、仕事として雇われることになりました。
これにより29名が働くことができています。
光が見えてきているとのこと。
現在、ワカメの放射能の検査中ですが、もしも出荷できる状況であれば、いち早く(最短で6月1日)売り出して、船越出身の人たちを元気づけたい、他の集落の人たちの復興への希望になればとのこと。
昨日は、大量にワカメをボイルしました。
塩蔵ワカメのための塩が大量にいるとのことでしたが、それまで仕入れていた塩が仕入れられず、チームサケに連絡がありました。
サケメンバーの西尾がいろいろなところにかけあった末(それぞれ被災されていて自社の復興で精いっぱいな状況)、東日本ソルトの雄勝半島出身の方とつながり、動いていただきました。
その方は先週、雄勝に帰ってがっかりして戻って来たということで、船越がわかめをやるというので驚いていると話してくれました。
その後、すぐに漁師さんたちも動き、昨日、10tの塩が直接届けられました。
小学校の瓦礫の撤去も進み、きれいな部屋を一つずつ作っています。
内陸に避難している集落の方たちが帰ってきた時やボランティアの人が来た時の休める場所にするためです。
今日は、京都の大工のロバートさん(IDRO JAPAN代表)が、船越小学校に冷蔵庫と洗濯機と電子レンジを届けてくれる予定です。
冷蔵庫などがあれば、集落に帰ってこられた方たちも、より快適に過ごせることと思います。
船越には3名の大工さんがいますが、(350名の住民のうち)
皆、石巻市内に引っ張りだこで、集落内の大工仕事が全く手つかず状態です。
大工さんの訪問は短い時間であっても、力になると思います。
漁師さんたちも、修理などできるそうですが、時間のほとんどを浜での作業(漁具の回収や、瓦礫の撤去)や陸での作業(集落の人にとって大事なものがないか探しながらの作業です。また、まだ見つかっていない方も同時に探し続けておられます。)に費やしていているのが現状です。
船越の復興についてアドバイスなどの面で協力することを表明してくださっている建築士の方たちが出てきました。
心強いです。
同時に、報道を通じてわかることや、電話連絡などからわかることですが、集落の解散や集落からの反対の声などが大きくなってきています。
team SAKE 大関はるか
以下は、足立から記事の共有です。
足立です。
女川町は「集落の統合」による復興計画を町が示し、住民側が反発しています。
町長の「効率と安全を重視した」という言葉が、多様性や土地とのつながりなど多くの要素が考慮されない状況を鮮明に浮かび上がらせています。
集落にとって、いよいよ正念場です。
東日本大震災 高台移住計画に漁業の町から反発の声
毎日新聞 5月22日(日)20時57分配信
東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県女川町で22日、町の復興計画策定に向けた住民公聴会が始まった。町は沿岸部の住宅を高台に集約して住宅団地にする構想を説明。しかし、漁港から離れて暮らすことに住民からは一斉に反発の声が上がり、復興の道のりの困難さをうかがわせた。
震災で、同町と石巻市にまたがって立地する東北電力女川原発は大惨事には至らなかったが、町沿岸部は津波でことごとく破壊された。町は5月初旬、安住宣孝町長らが中心となり復興計画案を策定。公聴会は22日は町内2カ所で開かれ、計約230人が参加した。
町は公聴会で(1)安心・安全な港まちづくり(2)港町産業の再生と発展(3)住みよい港まちづくり--を柱にした復興の基本的考えを提示。内陸の高台に住宅地6カ所を造成して、沿岸に暮らす漁師らに移住してもらい、漁港は集約させるという計画を説明した。
しかし、漁師ら住民側から「先祖代々の土地や家があるから漁へのパワーが出る」「育った土地を捨てるわけにはいかない」などの反対意見があがった。
避難場所の秋田県から来た同町竹浦の漁業、鈴木誠喜さん(64)は「古里は忘れられない。他の場所に移るとなれば、希望がなくなる。長年暮らした、海が見える場所では駄目か」と町長に迫った。
公聴会後、安住町長は「効率と安全を考えた案を出したつもりだが、反対する気持ちも分かる」と語った。
公聴会は27日にも2地区で開催。町復興計画委員会は構想計画の中間答申案を8月上旬までにまとめるという。【石川忠雄、川上晃弘、宇多川はるか】
火曜日, 5月 24
小渕浜の記事(読売新聞)
読売新聞5月24日版に、小渕浜の記事が掲載されました。
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
「日本一」誓い養殖再開
宮城県石巻市小渕浜西出当の佐々木茂則さん(59)は今月に入り、ワカメの養殖を再開した。3月11日の地震発生直後、船を避難させるため沖に出ている最中に寝たきりだった母を津波で失い、入院中だった父も間もなく母を追いかけるように亡くなった。自責の念は消えない。だが、「両親が船を残してくれた。日本一のワカメとカキをまた作ろう」と漁師の誇りが失意を乗り越えさせてくれた。
「海から上がった漁師は何者でもねえ。時間かかっても漁再開すっぺ」
小渕浜地域でワカメを養殖する漁師約35人が集まった際、最年長の佐々木さんは、漁師を辞めようかと嘆く若い漁師に酒をつぎながらそう励ました。
同地域は、ワカメやカキの養殖が盛んな漁師の町だったが、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。収穫最盛期を目前に漁場が被災し、ワカメやカキはすべて津波に流された。
地震発生直後、佐々木さんは船を避難させようと沖に向かった。
妻の巳代子さん(58)に寝たきりの母かめのさん(89)を任せ、カキ養殖用の7・2トンの漁船に乗り、ワカメ養殖用の3・5トンの小舟を4隻つないで出港した。
沖では漁師仲間と無線で安否確認をし合った。ラジオを積んでいる仲間から「10メートル以上の津波が来る」と聞いた。真っ暗な沖からは、港が火災で真っ赤に燃え上がっているのが見えた。15時間後、漁港に戻ると母の自宅も漁場もなくなっていた。
近所の人から、巳代子さんがかめのさんを避難させようと車いすを用意している時、倒れた家具が出入り口をふさぎ、その直後に津波が来たことを聞いた。身長が1メートル60以上ある巳代子さんの目の上まで泥水があふれた。
巳代子さんは、引き潮で足がぶつかり、割れた窓ガラスの隙間から、近隣住民に助け出されたという。かめのさんは既に息を引き取っていたが、その後の津波で流され、遺体はまだ見つかっていない。
その10日後、高台の病院に入院していた父の久喜さん(83)も容体が急変し亡くなった。「ばあさんはさみしがり屋だから、じいさんを連れてったんだべ」。そう思うと涙があふれた。船を守って両親を助けなかった自分を責める日が続いた。変わり果てた漁場を見て、漁師を辞めることも考えた。
だが、時間がたつにつれ、船を失った仲間が意気消沈しているのを見て、海で生きる者にとって船がないことは命を取られるのと同じだと思った。「漁師を続けろ」と両親が遺言を残してくれた気がした。
佐々木さんは5月に入ってから毎日、午前8時から午後3時頃まで、海のがれきを撤去したり、ブイなど使える資材を回収したりと海の清掃活動をし、その合間を縫って、ワカメの苗造りに必要なメカブの採取も始めた。
久喜さんの骨はまだ納骨していない。かめのさんの遺体があがったら、一緒に納骨するつもりだ。「その時はワカメをお供え出来たらいいべなあ」。佐々木さんはそう話した。
◇ ◇
石巻市内で5月14日まで約9日間、取材した。身内を亡くし、避難所から通勤するタクシー運転手や市役所職員、水産加工会社員。彼らは口をそろえて「仕事をしている間は、悲しい気持ちを忘れられる」と語った。被災者の生活再建、そして心を前に進めてもらうためにも仕事の場の確保は重要だ。被災地から離れた場所でも、東北地方の特産品を購入するなどで雇用確保に少しでも貢献できるはず。息の長い支援を続けたい。(佐藤友紀)
(2011年5月24日 読売新聞)
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
「日本一」誓い養殖再開
宮城県石巻市小渕浜西出当の佐々木茂則さん(59)は今月に入り、ワカメの養殖を再開した。3月11日の地震発生直後、船を避難させるため沖に出ている最中に寝たきりだった母を津波で失い、入院中だった父も間もなく母を追いかけるように亡くなった。自責の念は消えない。だが、「両親が船を残してくれた。日本一のワカメとカキをまた作ろう」と漁師の誇りが失意を乗り越えさせてくれた。
「海から上がった漁師は何者でもねえ。時間かかっても漁再開すっぺ」
小渕浜地域でワカメを養殖する漁師約35人が集まった際、最年長の佐々木さんは、漁師を辞めようかと嘆く若い漁師に酒をつぎながらそう励ました。
同地域は、ワカメやカキの養殖が盛んな漁師の町だったが、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた。収穫最盛期を目前に漁場が被災し、ワカメやカキはすべて津波に流された。
地震発生直後、佐々木さんは船を避難させようと沖に向かった。
妻の巳代子さん(58)に寝たきりの母かめのさん(89)を任せ、カキ養殖用の7・2トンの漁船に乗り、ワカメ養殖用の3・5トンの小舟を4隻つないで出港した。
沖では漁師仲間と無線で安否確認をし合った。ラジオを積んでいる仲間から「10メートル以上の津波が来る」と聞いた。真っ暗な沖からは、港が火災で真っ赤に燃え上がっているのが見えた。15時間後、漁港に戻ると母の自宅も漁場もなくなっていた。
近所の人から、巳代子さんがかめのさんを避難させようと車いすを用意している時、倒れた家具が出入り口をふさぎ、その直後に津波が来たことを聞いた。身長が1メートル60以上ある巳代子さんの目の上まで泥水があふれた。
巳代子さんは、引き潮で足がぶつかり、割れた窓ガラスの隙間から、近隣住民に助け出されたという。かめのさんは既に息を引き取っていたが、その後の津波で流され、遺体はまだ見つかっていない。
その10日後、高台の病院に入院していた父の久喜さん(83)も容体が急変し亡くなった。「ばあさんはさみしがり屋だから、じいさんを連れてったんだべ」。そう思うと涙があふれた。船を守って両親を助けなかった自分を責める日が続いた。変わり果てた漁場を見て、漁師を辞めることも考えた。
だが、時間がたつにつれ、船を失った仲間が意気消沈しているのを見て、海で生きる者にとって船がないことは命を取られるのと同じだと思った。「漁師を続けろ」と両親が遺言を残してくれた気がした。
佐々木さんは5月に入ってから毎日、午前8時から午後3時頃まで、海のがれきを撤去したり、ブイなど使える資材を回収したりと海の清掃活動をし、その合間を縫って、ワカメの苗造りに必要なメカブの採取も始めた。
久喜さんの骨はまだ納骨していない。かめのさんの遺体があがったら、一緒に納骨するつもりだ。「その時はワカメをお供え出来たらいいべなあ」。佐々木さんはそう話した。
◇ ◇
石巻市内で5月14日まで約9日間、取材した。身内を亡くし、避難所から通勤するタクシー運転手や市役所職員、水産加工会社員。彼らは口をそろえて「仕事をしている間は、悲しい気持ちを忘れられる」と語った。被災者の生活再建、そして心を前に進めてもらうためにも仕事の場の確保は重要だ。被災地から離れた場所でも、東北地方の特産品を購入するなどで雇用確保に少しでも貢献できるはず。息の長い支援を続けたい。(佐藤友紀)
(2011年5月24日 読売新聞)
日曜日, 5月 22
team SAKEの活動紹介記事(毎日新聞)
毎日新聞5月22日山口版に、team SAKEの記事が掲載されました。
ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。
■被災地を歩いて:東日本大震災 本州の西の端から 新たなつながりへ期待 /山口
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
被災地を歩いて:東日本大震災 本州の西の端から 新たなつながりへ期待 /山口
震災発生の9日後、孤立集落に支援物資を運んだ京都大学大学院生、足立大さん(34)は京都に戻ると「被災者には長期的な支援が必要」との思いから、知人ら十数人と支援団体「TEAM SAKE」を発足させた。
団体名は、物資を2度届けた宮城県南三陸町の馬場・中山集落の人たちから感謝の気持ちとしていただいたサケの切り身にちなみ、住民の一人が「(生まれた川で卵を産む)サケならば、戻ってきてくれるだろう。長い付き合いをしていきたい」と名付けてくれた。
団体の活動内容は、思うように支援が行き届かない小規模避難所へ、購入した物資をトラックで運搬することだ。被災地の風土や被災状況によって、異なる必要物資を事前に聞き取り、その情報を同団体ブログ(http:/teamsake.blogspot.com/)で掲載。それを見た全国の人たちから届けられた物資も運んでいる。
チームのまとめ役の会社員、大関はるかさん(31)は支援の在り方について「こちらが『支援をしてあげる』という姿勢では、被災者は受け入れてくれない。支援する側、支援される側という双方の壁を越えなければならない」と語る。
そのために、1度訪れた避難所には継続的に赴き、対話を通じ、互いに感謝し合えるような関係を構築。被災地を支援したいという人たちと被災者のニーズをブログで仲介することで、被災地とその他の地域との新たなつながりも築いていきたいと考えている。
今回、私が連載で被災者の状況や支援者たちの声を伝えたのも、読者と被災者との間にも新しいつながりができるきっかけになればとの思いからだった。連日、新聞やテレビ、インターネットで被災地の様子が伝えられるが、一人でも多くの人が報道をきっかけに被災者に思いを寄せ、そしてあと一歩何か踏み出してもらえたら、うれしい。それが「伝える」ことをなりわいとする記者たちにとって本望だと思う。
◇ ◇
今連載で取材した東北の皆さんへのメッセージを受け付けています。なお被災した皆さんの負担を考え、「返信不要」との旨で送らせていただきます。ご了承ください。はがきで〒751-0823 下関市貴船町3の1の2 毎日新聞下関支局へ。【尾垣和幸】=おわり
〔山口版〕
毎日新聞 2011年5月22日 地方版
ウェブ上でも「毎日jp」において、閲覧することができます。
■被災地を歩いて:東日本大震災 本州の西の端から 新たなつながりへ期待 /山口
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
被災地を歩いて:東日本大震災 本州の西の端から 新たなつながりへ期待 /山口
震災発生の9日後、孤立集落に支援物資を運んだ京都大学大学院生、足立大さん(34)は京都に戻ると「被災者には長期的な支援が必要」との思いから、知人ら十数人と支援団体「TEAM SAKE」を発足させた。
団体名は、物資を2度届けた宮城県南三陸町の馬場・中山集落の人たちから感謝の気持ちとしていただいたサケの切り身にちなみ、住民の一人が「(生まれた川で卵を産む)サケならば、戻ってきてくれるだろう。長い付き合いをしていきたい」と名付けてくれた。
団体の活動内容は、思うように支援が行き届かない小規模避難所へ、購入した物資をトラックで運搬することだ。被災地の風土や被災状況によって、異なる必要物資を事前に聞き取り、その情報を同団体ブログ(http:/teamsake.blogspot.com/)で掲載。それを見た全国の人たちから届けられた物資も運んでいる。
チームのまとめ役の会社員、大関はるかさん(31)は支援の在り方について「こちらが『支援をしてあげる』という姿勢では、被災者は受け入れてくれない。支援する側、支援される側という双方の壁を越えなければならない」と語る。
そのために、1度訪れた避難所には継続的に赴き、対話を通じ、互いに感謝し合えるような関係を構築。被災地を支援したいという人たちと被災者のニーズをブログで仲介することで、被災地とその他の地域との新たなつながりも築いていきたいと考えている。
今回、私が連載で被災者の状況や支援者たちの声を伝えたのも、読者と被災者との間にも新しいつながりができるきっかけになればとの思いからだった。連日、新聞やテレビ、インターネットで被災地の様子が伝えられるが、一人でも多くの人が報道をきっかけに被災者に思いを寄せ、そしてあと一歩何か踏み出してもらえたら、うれしい。それが「伝える」ことをなりわいとする記者たちにとって本望だと思う。
◇ ◇
今連載で取材した東北の皆さんへのメッセージを受け付けています。なお被災した皆さんの負担を考え、「返信不要」との旨で送らせていただきます。ご了承ください。はがきで〒751-0823 下関市貴船町3の1の2 毎日新聞下関支局へ。【尾垣和幸】=おわり
〔山口版〕
毎日新聞 2011年5月22日 地方版
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金曜日, 5月 20
船越の海
船越集落の中里さんによると、今朝ほど船で海に出て箱めがねで覗いてきたところ、海底の様子は地震前のように綺麗で、思っていた以上にワカメが育っており、アワビ、ウニ、ホタテ、ひじきなども見られ、早速アワビなどを獲ってきたそうです。
船越はじめ雄勝半島の北東側は太平洋に面し、北上川から供給される養分で成り立つ生態系のため、養殖だけでなく天然海産物が豊富だそうです。
やはり、海の自然回復力はすごいです。
出荷するには放射能検査を受けなければならないので、それはまだ少し先になりますが、海の方は順調だ、あとは人さえ戻って来られるようになれば、とおっしゃっていました。
team SAKE 足立
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