チームサケ:集落のための東日本大震災復興支援サイト
team SAKEは、人・モノ・技術・知識などを通じて、三陸のみなさんの「望み」が少しでも実現するよう動いています。
集落を訪問し、対話を通じてそれらの「望み」に触れながら、それを全国のみなさんと共有し、御協力いただきながら、形にしていくプロセスに関わっていこうと思います。
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土曜日, 6月 11
船越のおいしい昆布
船越で採れる昆布は、ねばりと甘みが強く、とろろ昆布向きです。
天然の昆布を刈り取って、天日乾燥させ、それを引いてとろろ昆布にするそうです。
豊かな漁場で年中さまざまな海産物が採れる船越ですが、髙橋照雄さんは、昆布漁一筋三代目のとろろ昆布を引く職人さんです。
前の津波の教訓で、荒地区は高台に家があったので、旬の時期に採った昆布は、全て津波を免れることができました。
とろろにする前の昆布は、出汁に使ってもおいしいですが、おやつにおしゃぶり昆布が抜群です。
京都の子どもたちは、すっかりこれにはまっています。噛めば噛むほどねろねろねばねば・・・
楽しいおやつで、いつまでも食べてます。
親たちも、(悲しく、悔しいことですが)福島の原発事故によって放射能が漏れている不安の中で子育てをすることになってしまい、今まで以上に昆布やワカメなど海藻を採らせてやりたいと考えています。
無添加でおいしい昆布、とろろ昆布は京都の以下のお店で購入が可能です。
また、おしゃぶり昆布は、準備が整い次第、お知らせいたします。
楽天堂・豆料理クラブ 上京区下立売通七本松西入北側(アスニー近く)
月曜~土曜:午後1―7時 定休日 日曜&祝日
ダイシン食料品店 三条会商店街 三条大宮東入る南側
am 8:30~pm 6:30ごろ 定休日 日曜日・祝日
金曜日, 6月 10
雄勝町船越産ワカメの販売が始まりました!
雄勝半島の船越集落では、宮城県内に先駆けて6月6日に天然ワカメの収穫を始めましたが、「津波に負けなかった!わーっかめ」という商品名で販売を始めました。

6月10日には石巻市役所雄勝支所前で販売を行い、多くの売り上げがあったそうです。
今後、販売箇所も増やしていく予定ですので、よろしくお願いいたします。
また、船越では雄勝半島特産の雄勝石(雄勝硯の原料)を屋根瓦に使った家屋が多かったのですが、津波による被災で、瓦礫の中にスレート屋根瓦が多く埋もれています。
日本最大の生産量を誇った雄勝硯の復活へ向け、まずはボランティアなどを通じたスレート石の回収・再利用へ向けた取り組みも始めていく予定です。

team SAKE 足立

6月10日には石巻市役所雄勝支所前で販売を行い、多くの売り上げがあったそうです。
今後、販売箇所も増やしていく予定ですので、よろしくお願いいたします。
また、船越では雄勝半島特産の雄勝石(雄勝硯の原料)を屋根瓦に使った家屋が多かったのですが、津波による被災で、瓦礫の中にスレート屋根瓦が多く埋もれています。
日本最大の生産量を誇った雄勝硯の復活へ向け、まずはボランティアなどを通じたスレート石の回収・再利用へ向けた取り組みも始めていく予定です。

team SAKE 足立
木曜日, 6月 9
小渕浜の記事(毎日新聞・朝日新聞・テレビ朝日)
6月9日の毎日新聞宮城版・朝日新聞・テレビ朝日に、小渕浜の記事が掲載されました。
ウェブ上でも「毎日jp」「Asahi.com」「テレ朝NEWS」において、閲覧することができます。
■毎日新聞:東日本大震災:石巻の小島清掃 カヌー愛好60人が参加 /宮城
■朝日新聞:カヌーでがれき撤去 スクリューなくすいすい(動画有り)
■テレビ朝日:【震災】「もう一度海に…」カヌーでがれき撤去(動画有り)
team SAKE 足立
~~~以下毎日新聞掲載記事~~~
東日本大震災:石巻の小島清掃 カヌー愛好60人が参加 /宮城
石巻市牡鹿半島の小渕浜漁港内に浮かぶ小島で8日、全国のカヌー愛好者らが東日本大震災の大津波で打ち上げられた漁具やがれきを撤去するクリーンアップ作戦を展開した。
清掃作業があったのは漁港岸壁から約30メートルの港内に浮かぶ小島。旧牡鹿町町史などによると、島には大型定置網「大謀網漁」の創始者と伝えられる鳥海弥三郎をまつった鳥海神社があり、地域住民から「鳥海(とのみ)様」と親しまれ、子どもたちも泳いで渡れる遊び場だった。
今回の大津波で、流失家屋のがれきや漁網、養殖施設の残骸などが大量に打ち上げられ島の様子は一変。神社も流失した。
クリーンアップ作戦は、実行委員会の鈴木匠会長が「子どもたちが安心して遊べる環境に」と、全国の仲間たちに呼びかけて実施された。
この日は、北海道から沖縄までの全国各地のカヌー愛好者とその仲間たち約60人が参加。スクリューに漁網などが絡むため漁船では航行が困難な島周辺をカヌーやゴムボートを使って清掃した。実行委では12日まで、同漁港内のがれき撤去作業を続ける予定だ。【石川忠雄】
毎日新聞 2011年6月9日 地方版
~~~以下朝日新聞掲載記事~~~
カヌーでがれき撤去 スクリューなくすいすい
宮城2011年6月9日10時18分
宮城県石巻市小渕浜の漁港で8日、ボランティア約60人が集まり、カヌーで小島に散乱するがれきの撤去をした。
岸から数十メートルの小島には、地元漁師が「漁業の神様」として「鳥海(とのみ)様」をまつり、年1回神事を行っていたが、社ごと津波に流された。地域に入っていたボランティアが漁師の鳥海様への思いを知り、清掃を決めた。海中にはがれきが残り、スクリュー付きでは航行が難しいため、カヌーでの作業となった。
作業にあたったカヌーデイ実行委員会の鈴木匠さんは「漁師をやめようという人も多い中、もう一度海へ出るきっかけになれば」と話していた。(小川直樹)
~~~以下テレビ朝日掲載記事~~~
【震災】「もう一度海に…」カヌーでがれき撤去(06/09 11:52)
宮城県の牡鹿半島で、津波で漁港に流れ込んできたがれきをカヌーを使って撤去する作業が行われています。
がれきの撤去作業を行っているのは、全国から集まったカヌー愛好家やボランティアおよそ60人です。津波で流された網などがスクリューに絡んで船が航行できないため、がれきが手つかずのままになっていた牡鹿半島の小渕浜漁港で、カヌーやゴムボートを使って、海の中や地元の人たちが漁業の神様として祭る「小島」でがれきを回収しています。
参加者:「地元の漁師がもう一度海に出るきっかけになれば」
牡鹿半島でのカヌーを使ったがれきの撤去は今月12日まで続きます。
ウェブ上でも「毎日jp」「Asahi.com」「テレ朝NEWS」において、閲覧することができます。
■毎日新聞:東日本大震災:石巻の小島清掃 カヌー愛好60人が参加 /宮城
■朝日新聞:カヌーでがれき撤去 スクリューなくすいすい(動画有り)
■テレビ朝日:【震災】「もう一度海に…」カヌーでがれき撤去(動画有り)
team SAKE 足立
~~~以下毎日新聞掲載記事~~~
東日本大震災:石巻の小島清掃 カヌー愛好60人が参加 /宮城
石巻市牡鹿半島の小渕浜漁港内に浮かぶ小島で8日、全国のカヌー愛好者らが東日本大震災の大津波で打ち上げられた漁具やがれきを撤去するクリーンアップ作戦を展開した。
清掃作業があったのは漁港岸壁から約30メートルの港内に浮かぶ小島。旧牡鹿町町史などによると、島には大型定置網「大謀網漁」の創始者と伝えられる鳥海弥三郎をまつった鳥海神社があり、地域住民から「鳥海(とのみ)様」と親しまれ、子どもたちも泳いで渡れる遊び場だった。
今回の大津波で、流失家屋のがれきや漁網、養殖施設の残骸などが大量に打ち上げられ島の様子は一変。神社も流失した。
クリーンアップ作戦は、実行委員会の鈴木匠会長が「子どもたちが安心して遊べる環境に」と、全国の仲間たちに呼びかけて実施された。
この日は、北海道から沖縄までの全国各地のカヌー愛好者とその仲間たち約60人が参加。スクリューに漁網などが絡むため漁船では航行が困難な島周辺をカヌーやゴムボートを使って清掃した。実行委では12日まで、同漁港内のがれき撤去作業を続ける予定だ。【石川忠雄】
毎日新聞 2011年6月9日 地方版
~~~以下朝日新聞掲載記事~~~
カヌーでがれき撤去 スクリューなくすいすい
宮城2011年6月9日10時18分
宮城県石巻市小渕浜の漁港で8日、ボランティア約60人が集まり、カヌーで小島に散乱するがれきの撤去をした。
岸から数十メートルの小島には、地元漁師が「漁業の神様」として「鳥海(とのみ)様」をまつり、年1回神事を行っていたが、社ごと津波に流された。地域に入っていたボランティアが漁師の鳥海様への思いを知り、清掃を決めた。海中にはがれきが残り、スクリュー付きでは航行が難しいため、カヌーでの作業となった。
作業にあたったカヌーデイ実行委員会の鈴木匠さんは「漁師をやめようという人も多い中、もう一度海へ出るきっかけになれば」と話していた。(小川直樹)
~~~以下テレビ朝日掲載記事~~~
【震災】「もう一度海に…」カヌーでがれき撤去(06/09 11:52)
宮城県の牡鹿半島で、津波で漁港に流れ込んできたがれきをカヌーを使って撤去する作業が行われています。
がれきの撤去作業を行っているのは、全国から集まったカヌー愛好家やボランティアおよそ60人です。津波で流された網などがスクリューに絡んで船が航行できないため、がれきが手つかずのままになっていた牡鹿半島の小渕浜漁港で、カヌーやゴムボートを使って、海の中や地元の人たちが漁業の神様として祭る「小島」でがれきを回収しています。
参加者:「地元の漁師がもう一度海に出るきっかけになれば」
牡鹿半島でのカヌーを使ったがれきの撤去は今月12日まで続きます。
水曜日, 6月 8
第7陣で参加した大学生ボランティアの報告
みなさんこんにちは。
週末に戻って以来、ご報告ができておらずすみません。
今回は、主に船越という宮城県石巻市雄勝半島にある集落の支援に重きをおいて活動してきました。
船越の方から、未来像を描いてくれる人を紹介してほしい、という声を受け、サケブログで呼びかけたところ、数名の方から連絡を受けました。
その中で、京都の芸術系の大学生めぐちゃんが現地入りしてくれ、滞在中、小学校の中の瓦礫の撤去やお掃除などを手伝ったり、みなさんの未来像を描いたりしてくれました。
私が見ていた感じでは、船越のみなさんは、若いめぐちゃんの訪問自体をとても喜んでいたと思います。特におじさんたち。
彼女が感じたことを書いてくれましたので、以下に紹介させていただきます。
ここまで team SAKEはるか
ここから 第7陣 めぐ
~行ってみて感じたこと~
行って一番印象に残っているのは、現地の方がすごい元気な事と、景色です。
・現地の方
私は現地の方が心痛められているのではないかと、かなり緊張して現地まで行きました。
いざ現地まで行ってみると、現地の方々はみんなすごく元気で無理していないかと心配になったほどでした。
「どうしてみなさんこんなにパワーがあるのでしょうか?」
と聞いてみたところ、
「こうやって生きている私たちがいつまでも落ち込んでいられない。みんなの前では明るく居たい。」
と話してくださりました。
更に、
「心や体、しんどかったりしませんか?」
と質問をしてみたところ、
「みんなのこの明るさは元々持っているものだから、自然と出てしまう。」
と話されていました。

この時、現地の方に感心を受けましたし、みんな暗黙の了解的にマイナスな感情を表に出していないところに心配も覚えました。
また私の住んでいるところは、隣の家の人とのお付き合いでさえままならないので、現地の方々の幅広い付き合い方がとても羨ましく思えました。
もし私が住んでいる「お隣さんさえ頼れない町」が被災したら、みんなマイナスの心は閉じ込めておけないだろうと、そう感じました。
支援しに行ってる私が元気をもらってしまって、頭で考えていたものとのギャップにやられました。
・景色
私が先日行って、「うゎ・・・」って思ったということは、震災直後はどうだったんだろうと考えるだけでもぞっとします。
何もかもなくなると言う事がどういう事なのか少しですが分かりました。
実際自分は被災地を目の前にしてどういう事を思うのか分かりませんでした。

行ってみて、心が空っぽになった感じです。「かわいそう」とか「大変そう」「悲しい」と言う感情は生まれないと思いました、あの景色をみて。
あの景色は感情にさえも浸らせてくれませんでした。
唯一「何で?」と言う言葉は出ました。「何でこうなってしまったのだろうか」と。
毎日のように復旧作業が続いているし、状況は上向きなのでしょうが、あの自然豊かな土地や心の広い現地の方には似合わない大きな機械達が、トラックに乗せやすい様に家を細かくしている光景は複雑なものでした。
復旧しても決して被害前の光景が復元されるわけではありません、それをどこかで理解していて「頑張ってもう一度立て直そう!」と現地の方はみんな前を向いていました。復旧後、そこにあの人の家がなくても、あっちにあの木がなくても、みんなはいる!なんかそんな思いなのかなと感じました。
このような貴重な経験を出来ていることを、支援してくださってる皆様に感謝します。

行ってみて感じた事はこのような事です。思えば思うほどいっぱい出てくるのでここで止めておきます。
めぐ
週末に戻って以来、ご報告ができておらずすみません。
今回は、主に船越という宮城県石巻市雄勝半島にある集落の支援に重きをおいて活動してきました。
船越の方から、未来像を描いてくれる人を紹介してほしい、という声を受け、サケブログで呼びかけたところ、数名の方から連絡を受けました。
その中で、京都の芸術系の大学生めぐちゃんが現地入りしてくれ、滞在中、小学校の中の瓦礫の撤去やお掃除などを手伝ったり、みなさんの未来像を描いたりしてくれました。
私が見ていた感じでは、船越のみなさんは、若いめぐちゃんの訪問自体をとても喜んでいたと思います。特におじさんたち。
彼女が感じたことを書いてくれましたので、以下に紹介させていただきます。
ここまで team SAKEはるか
ここから 第7陣 めぐ
~行ってみて感じたこと~
行って一番印象に残っているのは、現地の方がすごい元気な事と、景色です。
・現地の方
私は現地の方が心痛められているのではないかと、かなり緊張して現地まで行きました。
いざ現地まで行ってみると、現地の方々はみんなすごく元気で無理していないかと心配になったほどでした。
「どうしてみなさんこんなにパワーがあるのでしょうか?」
と聞いてみたところ、
「こうやって生きている私たちがいつまでも落ち込んでいられない。みんなの前では明るく居たい。」
と話してくださりました。
更に、
「心や体、しんどかったりしませんか?」
と質問をしてみたところ、
「みんなのこの明るさは元々持っているものだから、自然と出てしまう。」
と話されていました。
この時、現地の方に感心を受けましたし、みんな暗黙の了解的にマイナスな感情を表に出していないところに心配も覚えました。
また私の住んでいるところは、隣の家の人とのお付き合いでさえままならないので、現地の方々の幅広い付き合い方がとても羨ましく思えました。
もし私が住んでいる「お隣さんさえ頼れない町」が被災したら、みんなマイナスの心は閉じ込めておけないだろうと、そう感じました。
支援しに行ってる私が元気をもらってしまって、頭で考えていたものとのギャップにやられました。
・景色
私が先日行って、「うゎ・・・」って思ったということは、震災直後はどうだったんだろうと考えるだけでもぞっとします。
何もかもなくなると言う事がどういう事なのか少しですが分かりました。
実際自分は被災地を目の前にしてどういう事を思うのか分かりませんでした。
行ってみて、心が空っぽになった感じです。「かわいそう」とか「大変そう」「悲しい」と言う感情は生まれないと思いました、あの景色をみて。
あの景色は感情にさえも浸らせてくれませんでした。
唯一「何で?」と言う言葉は出ました。「何でこうなってしまったのだろうか」と。
毎日のように復旧作業が続いているし、状況は上向きなのでしょうが、あの自然豊かな土地や心の広い現地の方には似合わない大きな機械達が、トラックに乗せやすい様に家を細かくしている光景は複雑なものでした。
復旧しても決して被害前の光景が復元されるわけではありません、それをどこかで理解していて「頑張ってもう一度立て直そう!」と現地の方はみんな前を向いていました。復旧後、そこにあの人の家がなくても、あっちにあの木がなくても、みんなはいる!なんかそんな思いなのかなと感じました。
このような貴重な経験を出来ていることを、支援してくださってる皆様に感謝します。
行ってみて感じた事はこのような事です。思えば思うほどいっぱい出てくるのでここで止めておきます。
めぐ
箱崎の記事(Excite ニュース)
5月27日に、漫画家たちが箱崎西山家で瓦礫撤去のボランティアをされたようです。
ウェブ上でも「Excite ニュース」において、閲覧することができます。
■被災地で人気漫画家たちが瓦礫撤去ボランティア!〈岩手漫画家応援ツアー同行レポートpart2〉1ページ
■被災地で人気漫画家たちが瓦礫撤去ボランティア!〈岩手漫画家応援ツアー同行レポートpart2〉2ページ
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
被災地で人気漫画家たちが瓦礫撤去ボランティア!〈岩手漫画家応援ツアー同行レポートpart2〉
2011年6月8日 10時00分
5月26日から28日までの三日間にわたって行なわれた「岩手漫画家応援ツアー」のレポート、今回は2日目をお送りする。
■箱崎半島での瓦礫撤去ボランティア
朝5時50分、盛岡で宿泊したホテルのロビーにメンバーが集合する。本日は、釜石の箱崎半島で瓦礫撤去のボランティアに出かけるのだ。夜型の生活が多い漫画家の先生方なのに、誰ひとり寝坊せずに集まっていることに驚く。
車に分乗して箱崎半島へ向かう。途中、神子田の朝市で腹ごしらえなどしつつ、釜石のボランティアセンターまでは昨日と同じルートをたどる。片道2時間以上の道程だ。
長い山道と、田園風景の中を抜けて釜石市内に入ると、また昨日と同じ風景が左右にひろがる。
ラーメン屋の駐車場には、臨時の中古車販売場が出来ている。乗用車が必須の地方都市であれだけの量の車が津波で流されたのだから、中古車の需要が高まっているのは当然だろう。小学校の校庭には濃緑色の車輛が整列し、自衛隊の前線基地ができている。海辺のレジャー施設は支援物資の貯蔵庫になっている。みんなが“残されたもの”を利用して、全力で立て直しをはかっている。
道路を車で走っていると、ときおりガードレールなどに「支援ありがとうございます!」「NEVER GIVE UP!」「たくさんの想い、ありがとう」といった被災者たちによる感謝のメッセージが掲げられているのが目に入る。なんともいえないものが込み上げてくる。
やがて箱崎半島に着いた。今回われわれがボランティアをさせてもらうのは、箱崎半島にある小さな湾の奥でりんご農家を営んでいるお宅だ。この一帯も津波の被害を受けて、住宅のほとんどが押し流されてしまっている。
幸いなことに、りんご農家のお宅は高台の上にあったため、津波の直撃はまぬがれた。しかし、海側は瓦礫の山、背後は山に囲まれて、地震のあった日から2週間は完全に外界から遮断されてしまったという。その後、海側の瓦礫が撤去されてからも物資の不足は続き、遠方の親類などから食料を届けてもらって生活していたような状態だったとか。
海側の瓦礫はいまも重機による撤去が進んでいるが、問題なのはりんご畑だ。一段高くなっているうえに、瓦礫がりんごの木々の間に流れ込んでいて、撤去しようにも重機が入って来れない。そのため畑の瓦礫は人力で運び出すしかないのだ。だけど、その人手が不足している。そこで、われわれの手でこれをやってしまおうというわけだ。
この作業を通じて、津波による瓦礫というものを初めて間近に見た。無数の屋根瓦、家の外壁とおぼしきモルタルやコンクリの破片、割れたガラス、へし折れた材木。コンクリ片からは補強用の針金が飛び出ているし、材木からも錆びた釘がもれなく突き出している。軍手と長靴だけでは絶対無理。軍手の上に厚手のゴム手袋をはめて、長靴の底には釘の踏み抜き防止用の鉄板を入れないと、危険で仕方がない。
これらの瓦礫を、重機が入ってこれる一段下の場所までみんなでせっせと移動させる。ペンより重いものなど滅多に持たない漫画家さんたちが、黙々と汗を流す。わたしだってマウスより重いものなんか持たないが、この日ばかりは必死になって働いた。
瓦礫を掘っていると、いろんなものが見つかる。たいていはゴミとして処分してよいのだが、写真や手紙類、何かの証書や通帳、表彰状、免状といった思い出の品や、持ち主が判明しそうなものは捨てずに選り分けておく。泥まみれになっていても、洗浄してある程度までは元通りにする方法もあるから、迂闊に捨てるべきではないのだ。
何時間作業しただろう。途中から時間の感覚がなくなっていたので覚えていないが、夕方近くなってようやく瓦礫の撤去が一段落ついた。完璧とは言いがたいが、デスクワーク中心のメンバーにしてはそれなりの成果を上げられたのではないかと自画自賛する。
最後にりんご農家のお母さんからご馳走していただいた土地の名物“ざく汁”の甘みは、一生忘れられない味となった。
(とみさわ昭仁)
ウェブ上でも「Excite ニュース」において、閲覧することができます。
■被災地で人気漫画家たちが瓦礫撤去ボランティア!〈岩手漫画家応援ツアー同行レポートpart2〉1ページ
■被災地で人気漫画家たちが瓦礫撤去ボランティア!〈岩手漫画家応援ツアー同行レポートpart2〉2ページ
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
被災地で人気漫画家たちが瓦礫撤去ボランティア!〈岩手漫画家応援ツアー同行レポートpart2〉
2011年6月8日 10時00分
5月26日から28日までの三日間にわたって行なわれた「岩手漫画家応援ツアー」のレポート、今回は2日目をお送りする。
■箱崎半島での瓦礫撤去ボランティア
朝5時50分、盛岡で宿泊したホテルのロビーにメンバーが集合する。本日は、釜石の箱崎半島で瓦礫撤去のボランティアに出かけるのだ。夜型の生活が多い漫画家の先生方なのに、誰ひとり寝坊せずに集まっていることに驚く。
車に分乗して箱崎半島へ向かう。途中、神子田の朝市で腹ごしらえなどしつつ、釜石のボランティアセンターまでは昨日と同じルートをたどる。片道2時間以上の道程だ。
長い山道と、田園風景の中を抜けて釜石市内に入ると、また昨日と同じ風景が左右にひろがる。
ラーメン屋の駐車場には、臨時の中古車販売場が出来ている。乗用車が必須の地方都市であれだけの量の車が津波で流されたのだから、中古車の需要が高まっているのは当然だろう。小学校の校庭には濃緑色の車輛が整列し、自衛隊の前線基地ができている。海辺のレジャー施設は支援物資の貯蔵庫になっている。みんなが“残されたもの”を利用して、全力で立て直しをはかっている。
道路を車で走っていると、ときおりガードレールなどに「支援ありがとうございます!」「NEVER GIVE UP!」「たくさんの想い、ありがとう」といった被災者たちによる感謝のメッセージが掲げられているのが目に入る。なんともいえないものが込み上げてくる。
やがて箱崎半島に着いた。今回われわれがボランティアをさせてもらうのは、箱崎半島にある小さな湾の奥でりんご農家を営んでいるお宅だ。この一帯も津波の被害を受けて、住宅のほとんどが押し流されてしまっている。
幸いなことに、りんご農家のお宅は高台の上にあったため、津波の直撃はまぬがれた。しかし、海側は瓦礫の山、背後は山に囲まれて、地震のあった日から2週間は完全に外界から遮断されてしまったという。その後、海側の瓦礫が撤去されてからも物資の不足は続き、遠方の親類などから食料を届けてもらって生活していたような状態だったとか。
海側の瓦礫はいまも重機による撤去が進んでいるが、問題なのはりんご畑だ。一段高くなっているうえに、瓦礫がりんごの木々の間に流れ込んでいて、撤去しようにも重機が入って来れない。そのため畑の瓦礫は人力で運び出すしかないのだ。だけど、その人手が不足している。そこで、われわれの手でこれをやってしまおうというわけだ。
この作業を通じて、津波による瓦礫というものを初めて間近に見た。無数の屋根瓦、家の外壁とおぼしきモルタルやコンクリの破片、割れたガラス、へし折れた材木。コンクリ片からは補強用の針金が飛び出ているし、材木からも錆びた釘がもれなく突き出している。軍手と長靴だけでは絶対無理。軍手の上に厚手のゴム手袋をはめて、長靴の底には釘の踏み抜き防止用の鉄板を入れないと、危険で仕方がない。
これらの瓦礫を、重機が入ってこれる一段下の場所までみんなでせっせと移動させる。ペンより重いものなど滅多に持たない漫画家さんたちが、黙々と汗を流す。わたしだってマウスより重いものなんか持たないが、この日ばかりは必死になって働いた。
瓦礫を掘っていると、いろんなものが見つかる。たいていはゴミとして処分してよいのだが、写真や手紙類、何かの証書や通帳、表彰状、免状といった思い出の品や、持ち主が判明しそうなものは捨てずに選り分けておく。泥まみれになっていても、洗浄してある程度までは元通りにする方法もあるから、迂闊に捨てるべきではないのだ。
何時間作業しただろう。途中から時間の感覚がなくなっていたので覚えていないが、夕方近くなってようやく瓦礫の撤去が一段落ついた。完璧とは言いがたいが、デスクワーク中心のメンバーにしてはそれなりの成果を上げられたのではないかと自画自賛する。
最後にりんご農家のお母さんからご馳走していただいた土地の名物“ざく汁”の甘みは、一生忘れられない味となった。
(とみさわ昭仁)
火曜日, 6月 7
本郷地区からの便り
6月7日、本郷地区コミュニティ消防センターに避難されていた小池さんと電話でお話をしました。20名近く避難していた人達も現在は仮設等に移り終え、避難所は解散になりました。ようやく小池さんも落ち着いてこられ、今後に向けて考える余裕もでてきました。津波で大きな被害を受けた街をどのように復興するかについては、高台を削り川下の低地を埋めることや、堤防を10m高くすること、さらにソーラーの街灯を設置することなどを、「復興街作り懇談会」において釜石市に提案し、具体的な話し合いを進めています。「皆さんの励ましが一番の力になりました。どうぞよろしく伝えてください」、また、「届いたデジカメを活用しています」とのことでした。引き続き、ノートPC、プリンタは募集しています。
本郷地区募集先一覧
team SAKE みつはる
投稿:team SAKE 足立
本郷地区募集先一覧
team SAKE みつはる
投稿:team SAKE 足立
船越の記事と動画(朝日新聞)
朝日新聞6月7日版に、船越の記事が掲載されました。
ウェブ上でも「Asahi.com」において、閲覧することができます。
なお、サイトではワカメ漁の動画も見ることができます。
■石巻で天然ワカメ漁再開 船や漁具など共同利用(動画有り)
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
石巻で天然ワカメ漁再開 船や漁具など共同利用
2011年6月7日21時38分
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市雄勝町の船越漁港で7日、天然ワカメ漁が本格的に再開された。80隻以上あった船は5隻ほどに減ったため、船や漁具を共同で利用。震災後初めて海にこぎ出した高橋龍太郎さん(70)は「漁師は海に関わらないと生きていけね。今日は皆が生き生きしていた」。
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ウェブ上でも「Asahi.com」において、閲覧することができます。
なお、サイトではワカメ漁の動画も見ることができます。
■石巻で天然ワカメ漁再開 船や漁具など共同利用(動画有り)
team SAKE 足立
~~~以下掲載記事~~~
石巻で天然ワカメ漁再開 船や漁具など共同利用
2011年6月7日21時38分
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市雄勝町の船越漁港で7日、天然ワカメ漁が本格的に再開された。80隻以上あった船は5隻ほどに減ったため、船や漁具を共同で利用。震災後初めて海にこぎ出した高橋龍太郎さん(70)は「漁師は海に関わらないと生きていけね。今日は皆が生き生きしていた」。
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