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土曜日, 11月 1

2015年春 小渕浜でアルバイト募集



小渕浜の株式会社ヤマダイさんでは、春にワカメの出荷作業をされています。
震災後、作業員の集まりが悪く、細かい加工までできていません。
ぜひ、長期に入られる方に来ていただきたいとの希望がありました。

小渕浜には多くの施設が建ってきていますが、震災前の漁業の状況に戻るには程遠い状況です。
まだまだ機械や施設が足りない中、その場に踏みとどまって、復興へ向けてがんばっておられます。
震災後には、土木など仕事があるせいか、漁業作業への応募が少なくなってきているようです。
チームSAKEでは人手不足に悩まされているヤマダイさんをぜひお手伝いしたく、アルバイト募集のホームページ作成のお手伝いをしました。
ぜひ、多くの方にお声かけいただき、拡散をお願いします。

昨年も募集をHPでさせていただいたのですが、数名の応募がHPからあっただけでした。
今年はそれを上回る応募があることを願っています。

募集のホームページは以下

株式会社ヤマダイ

チームSAKE みつはる

金曜日, 3月 28

【終了】小渕浜のアルバイト募集

さて早速ですが、小渕浜から緊急のアルバイト募集の話です。

昨年私は、第三陣の時に繋がりができた小渕浜の佐々木ご夫妻のところを、チームSAKEの仲間と一緒に再訪しました。
ここ、小渕浜では、震災直後に漁師さん達が船で海に出て船を守った地域です。
船は残ったけど、家、工場、全て流されました。
その約一ヶ月後に、チームsakeで小渕浜を訪れ、佐々木ご夫妻に出会いました。
その後お二人の会社・ヤマダイ水産を復活させて、既にワカメやホヤなどの養殖を再開されており、復興に向けて踏ん張っておられます。
約1年ぶりに訪れたのですが、課題は色々あるなか、小渕浜の施設の復興の早さには驚きました。

既に、川手さんからの報告にも書いてありますが、
昨年再訪した時にお伺いした話では、「震災後、養殖を再開されたものの、働き手をどう確保するかが課題で、
ワカメの刈り取り時期に求人しても人が十分人がに集まらず、下加工が十分できない為に経営的に厳しかった」とのことです。
「人が多く来てくれると、ワカメを良い値で売れる製品にまで下加工ができるのですが、人が少ないと刈り取ってそのまま出荷となり、安く卸すしかないのが現状」だそうです。
人を多く雇ってでも製品にまでした方が安く卸すより経営的に成り立つのだそうです。
最低でも毎日20人ぐらいの働き手を確保したいとのことでした。

現在、建設ラッシュの東北では、短期の漁業従事者がなかなか集まりづらくなっており、まだ目標の人数は集まっていないようです。

チームSAKEでは、何とか協力できないかと求人のホームページの作成などお手伝いしたいと思いました。
下記ホームページを作成し、アルバイトの募集をしています。
しかし、まだまた人が足りていません。
短期一週間からの最長二ヶ月まで、どうか皆さんのお力をおかしください。
そして、情報拡大の協力をお願いいたします。
もちろん、転送大歓迎です。

帰り際、佐々木のお母さん(巳代子さん)が、「あと10歳若かったらね。」と仰っていた言葉が胸に刺さりました。
少しでも情報が広がり、アルバイトさんが集まったら嬉しいです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。


文責:チームSAKE 三枝剛

木曜日, 1月 9

第27陣 気仙沼・牡鹿・雄勝

11月3日(日)に気仙沼市の大沢地区にある賀茂神社の例祭が執り行われました。
同じく、気仙沼市鶴ヶ浦の御嶽神社のお祭りに顔を出させていただきました。
遅くなりましたがその報告をいたします。

11月2日早朝、仙台市内で待ち合わせをした後、気仙沼市小原木中学校仮設住宅へ向かいました。京都から3名、東京から1名の総勢4名でお祭りのお手伝いを中心に訪問するためです。

■小原木中学校仮設 避難訓練
11月2日午前9時 小原木中学校の仮設(大澤地区の皆さんが多く住まれている)に着くと、ちょうど避難訓練の合図があり、自分の携帯でも避難訓練の合図が鳴りました。仮設から多くの人が出てきて、顔を見合わせ、避難の確認をされていました。11月5日の「津波防災の日」を前に、宮城県気仙沼市民ら約3,600人が参加する大規模な津波総合防災訓練だったそうです。
ちょうど良く出てきてくれた皆さんに京都からのお土産を渡すと皆さん喜んでくれました。

ここの仮設住宅にある集会室には、毎年お祭りのお手伝いに来るたびにお世話になっています。横浜市立大学、神戸大学、武庫川女子大学、東北芸工大学の学生たちは、大澤地区の街づくり会議の支援をされており、今回の訪問の期間中にも大澤未来会議(まちづくり会議)があると情報を入手していたので、最初にお伺いしたこの仮設で時間等を確認することができました。
この今回の未来集会、11月2日の午前中は、家が残った方たちを中心に大澤の会場で行われるとのことでした。午後は仮設の方々を中心に小原木中学校の体育館で行われるとのこと。同じ内容と聞き、午後からの会議にオブザーバーとして見学させていただくことをお願いし、私たちは場所を鶴ヶ浦へ移動しました。


■鶴ヶ浦 御嶽神社例祭
11月2日午前10時 鶴ヶ浦生活文化センター横の御嶽神社を訪れました。
気仙沼市の鶴ヶ浦生活文化センターは、震災当時、着の身着のまま非難された方がいて、まだ下着なども足りなかった頃に訪問させていただき、その時からのご縁で今もつながりがあります。
その生活文化センターの隣に立地し、400年以上の歴史のある御嶽神社でお祭りが行われるとのことで、京都から差し入れを持ってお邪魔してきました。
昔はこの祭でも神楽もされていたそうです。
この日は神主さんが来られ祝詞をあげてもらうということで、その様子を拝見しておりました。
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外から眺めさせていただいていたところ、「せっかくだから中に入ったら」と勧めていただき、神社の中にお邪魔して、なんと中央で見学させていただきました。
このようにいきなりよそ者の私たちを快く歓迎していただいたのは、これまでのつながりが良かったのだとしみじみ感じました。
天井には色彩豊かで色鮮やかな素敵な絵があり、歴史を感じることができました。今のような絵の具などない時代にこれほどの絵を描くためには、顔料など貴重なものを用意するのが大変だっただろうともお聞きしました。地元の方から「この神社の天井の絵が相当傷んできているので、なんとかこのまま保存できないかと心配している。」とお話いただきました。美術の専攻の学生も同行していたので、保存の取り組みへ向けた何らかのつながりを紹介できればと思いました。
自治会長から順次役職の方が次々と参拝し、無事祭事が終わりました。


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終了後にはお祭りの旗の片付けのお手伝いをさせていただき、ご高齢の方が多い中、少しは戦力になった感じでした。


次回はこの旗を立てるところからお手伝いに来たいとも思いました。



















終了後に鶴ヶ浦生活文化センターで地域の方々が芋煮会が催されるとのことで、初めは遠慮していたのですが、せっかくなので参加させていただきました。
芋煮会では、神主さんからのお話のあと、地域の長老から順番で、この地域の歴史の話が楽しく語られました。
チームSAKEも震災当初から関わっていることをご紹介いただき、このようなお祭りなど、集落の文化や生活が残っていくことが私たちの目的であることをお伝えしたところ、喜んでいただけました。


実は、今回の目的の一つに、この鶴ヶ浦の水産業の施設へのアクションができないかを調べたいという思いがありました。
関わりのある鶴ヶ浦の方でカキやホタテの養殖をされている方から、「水産施設がなくなり、検査も消毒もできず、市場へ出せない。」とお聞きしていたので、私たちが関わって何か改善するお手伝いができないかと思ったのです。
こちらの感覚では、復興の早い浜の施設に協力をしてもらったりと融通を利かせられないか。施設を作るのが速くなる方法はないかなど。
芋煮会の終了後、自治会長や水産関係の人と話したところ、他の浜との協力はなかなか難しいこと。施設も作るのに時間がかかること。漁業も高齢化していること。地元の小学校も廃校になり、過疎化が進んできていること。過疎化が進む中で、浦島小学校は廃校になり、鹿折地区の四ヶ浜【大浦(おおうら)・小々汐(こごしお)・梶ヶ浦(かじがうら)・鶴ヶ浦(つるがうら)と呼ばれる四つの集落】では、跡地利用や地域お越しを話す会合を始めているそうです。
高台移転も隣の集落に場所が設定されていたりと、今後集落をどうしていくのか、課題があること。近隣の4つの浜で廃校の跡地利用や今後のことの話し合いが始まっていることなどの情報をいただきました。なかなか厳しい現状と、生半可な関わり方では改善できないことを痛感しました。


芋煮会では、鶴ヶ浦の皆さんに本当によくもてなしていただきました。
この芋煮会には、参加者に若者がほとんどおらず、よそ者であったとしても私たちが参加することで少しは雰囲気が変わったのではないかと思います。
この三陸で、過疎化、高齢化が急速に進んでいること。日本各地で起きているそれを、津波がさらに加速させてしまったのだと改めて痛感しました。
それでも、三陸の漁村が元気に残る為の課題は、日本の各地で今起きている課題と同じで山積み状態です。


後日、11月4日午後に、鶴ヶ浦のお宅に立ち寄り、お話しをさせていただいた。「地盤が下がり高潮とで、養殖の加工施設は今は海の中です。再建にはかさ上げが必要で、再建するとして、最低でも3年はかかるのではないかと思います。高齢化もあり、厳しい状況です。養殖はできても、出荷できないのはとてもつらい。」とのことでした。支援の方法は無いのでしょうか?


■大澤 まちづくり会議

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11月2日午後 小原木中学校体育館で行われた大澤まちづくり会議。横浜市立大学、神戸大学、武庫川子大学などが関わり行われている会議です。オブザーバーで見学させていただきました。
今回は大澤で地域の集会所を作る場所のお話をされていました。どこに作るかは、地元の人の思い入れなどもあり、決めるのはなかなか難しいそうでした。津波発生時には避難所になる集会所は、土を盛ってかさ上げするといえ浸水域には、なかなか建てづらいところ。それでも地元の方は、大澤の中心的なところでぎりぎり浸水域の縁のところに土でかさ上げしてでも作りたいとおっしゃっていました。
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大澤地区には大学が入り、このまちづくり会議の他に、高台移転先の家作りのための建築資材の共同購入を勧めたりと継続的に支援をされています。



■賀茂神社前夜
11月2日夕方から始まる法印神楽。この地域の神楽を舞う方が集まり、前夜祭として神楽を奉納しておられました。
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神社に奉仕する神職の方々が明治以前は「法印」と呼ばれる里の修験であったそうで、この「法印」が奏した神楽が「法印神楽」であり、旧仙台領の沿岸部を中心に継承されたとのことです。

気仙沼大澤にある賀茂神社

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夕刻より始まった法印神楽

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荘厳な中に楽しさのある舞。代々受け継がれてきた伝統に見入ってしまいました。


■賀茂神社祭り
11月3日 いよいよ賀茂神社のお祭りです。
奉納演芸大会から出店まで、大沢青年婦人部が中心になって開催されました。
この地域は、青年婦人部が元気です。
毎年、お祭りの準備から片づけまで、協力して執り行われています。

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演芸大会も大盛り上がり!
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今年のお手伝いは、賀茂そばの販売。
来場者に美味しいそばをたくさん食べていただきました。


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以前、小原木タコちゃんを作っていた方々も「よってけ工房」として再スタートされ、
手作り手工芸品を販売していました。
巻きスカートは、エプロンにもなりおしゃれです。
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大澤では、毎年オリジナルグッズを作っています。
今年はこのデザイン。どこか日曜日に見るような絵ですが、、、。
グッズを作ってみんなで着るのは一体感を生み出します。
これも大澤の魅力と強さかもしれません。

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最後は餅まき!

■大澤
11月4日朝 祭りの後の大澤地区を散歩してきました。
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国道沿いに、地域の拠点として「大澤カフェ」が完成していました。
運営はこれからになるようですが、再びこの地に活気が戻ってくる拠点になるはずです。


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大澤カフェから少し離れたところに、京都のマルティナさんが気仙沼に作った会社のアトリエがありました。気仙沼で、若いお母さんなどに仕事を作りたいとマルティナさんが起業され、頑張っている会社の拠点です。

大澤地区は、高台の工事が進む中、浸水域はまだまだほとんど空き地です。
そんな中に「大澤カフェ」と「マルティナアトリエ」があります。

■「よってけ工房」
11月4日昼 よってけ工房の皆さんとお話をさせていただきました。
以前、小原木タコちゃんを作っていたメンバーが手工芸品を作っています。

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巻きスカート(エプロン)
テーブルクロス
ランチョンマット
ストラップ

などなど、いろいろなものに挑戦されています。
元になる生地は、京都の福知山市からも送られたものがあり、
つながりがあります。
この地域は福知山市のからみどりのカーテンの設置支援を受けている地域。
ゴーヤ先生も来ています。
http://ameblo.jp/fukuchiyama-kankyokaigi/page-5.html#main

一昨年、ご紹介したのをきっかけに、
みどりのカーテン設置支援も広がっており、
また、つながりができていることに驚きました。

現在、精力的に活動されているみなさん、「できれば着物の帯(地味なもの)をいただけると、ランチョンマットなどに加工できるのでありがたい。渋い色で地味なものが良いです。」
とお題をいただきました。

タンスに眠っている地味な着物の帯。生まれ変わらせてあげませんか?

■小渕浜
11月5日 小渕浜にお邪魔しました。
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軒並み漁業関係の仮設や新築の作業場が並んでいます。
比較的復興の早い浜とされている小渕浜。流石です。

お話をさせていただいたのは、株式会社ヤマダイの佐々木さん

震災直後から訪問させていただいています。

株式会社ヤマダイさんは、既にワカメやホヤなどの養殖も再開されており、復興に向けて踏ん張っておられます。
震災後、養殖を再開されたものの、働き手をどう確保するかが課題だとおっしゃっておりました。
昨年、今年とワカメの刈り取り時期に求人しても人が十分に集まらず、下加工が十分できない為に経営的に厳しかったとのことでした。
人が多く来てくれると、ワカメを製品にまで下加工ができるので良い値で売れるのですが、人が少ないと刈り取ってそのまま出荷となり、安く卸すしかないとのことでした。なんともったいない。人を多く雇っても製品にまでした方が経営的に成り立つのだそうです。来シーズン2014年は、最低でも20人ぐらいの働き手を確保したいとのこと。

建設ラッシュの東北では、短期の漁業従事者がなかなか集まりづらくなっているようです。
チームSAKEでは、何とか協力できないかと求人のホームページの作成などお手伝いしたいと思いました。下記ホームページを作成し、募集を開始しています。ぜひ情報拡大をお願います。
http://nariate-yamadai.blogspot.jp/2013/12/blog-post.html

小渕浜で聞いた話。
カキなどの養殖は水温で左右されるそうで、以前は9月28日位に生ガキの出荷が始まっていた。
最近は温暖化の影響などで水温が下がらず、今年は10月15日位からにずれ込んだとのこと。
ホヤは水温で色や大きさが変わる。漁業は、自然の変化がダイレクトに影響すると教えていただきました。


■船越
11月5日 船越にお邪魔しました。
船越小学校が取り壊され跡は既に仮の道路となっており、海までが望める見渡しのいい場所となっていました。

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地盤沈下の影響で、港もかさ上げしていないところは海水につかります。

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臨時にかさ上げしているような港。復興はこれからという感じ。
この右の方の少し離れたところにできていた建物は、公共の貸倉庫のようなもの。(写真には写っていない)
使う人の意見を聞かずに建てられたようで、どうやら使いづらいものらしい。
復興予算もしっかりと使う人に意見を聞いて、よりよいものを作って欲しいと思いました。

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早朝からのサケ漁を終え帰ってくる船。船を待つ姿が格好いいし、かわいいです。
漁業のシーズンは、朝早く出て、一日仕事。
間に休憩はとっても、大変な労働です。


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上2匹はメス。下がオスの鮭。
やっぱりオスは特徴ありますね。


高台移転の話は進んでいるのだろうけど、実感がないとのこと。
漁業をしながら、待ち望んでいます。

■今回
今回の訪問では、産業的な復興へ向け動き出す中で、過疎・高齢化・地域格差などの日本全国で起きている地域の課題が、この三陸では急速に進んできているのを実感しました。仮設での生活が続く中、先がまだしっかり見えない生活に、踏ん張って耐えておられます。そんな中で、毎年お伺いし、ゆっくり話をさせていただき、喜んでいただくことはとてもうれしく思いました。私たちにどんな支援ができるのか、模索の旅が毎回続いていますが、つながりを継続することに意義を感じています。今回も三陸に皆さんに大変お世話になりました。支援としてできそうなことを何個か見つけてきましたので、このブログにアップしたいと思います。皆さんご協力をお願いします。

文責:チームSAKE 川手光春


水曜日, 1月 8

第26陣 船越・小渕浜

920日から24日まで船越・小渕浜に5人で行って参りました。

船越の中里孝一さんの納屋(海のそばの作業小屋)で、ホヤ養殖作業の手伝いと、船越レディースの作業小屋の掃除、お彼岸のお墓参りを行いました。


 ホヤの養殖は、4年かけて行うもので、今回の作業は、細い紐で採苗された1年ほどのホヤの種苗(赤ちゃん)を、1mほどに切って、大きな紐の撚りに差し込んで絡み付ける(養成というそうです)ものです。今年の夏は海水温が高温で、去年養成したものの生育はあまり状況がよろしくないそうです。今後は、高温にならないことを祈って、2,3年後に大きくなったホヤができて売れるといいですね。

1年たったホヤ。ホヤは「海のパイナップル」と呼ばれる。


まずは種苗を海に取りに行き、
ホヤの種苗をとりに海に向かって出発


海辺の納屋に持って帰ってきて、ムラサキガイ(ムール貝)などを取り除き、種苗の紐を1mほどに切っていく。
ごみとり中。この紐にたくさんのホヤが付いています。
そして、太いロープの撚りに細い紐を差し込んで固定する。

紐を差し込む時は、指先に力を込める



 作業をお手伝いする前に、「ホヤって何をするんですか」「どこからとってくるんですか」といろいろと聞くと、「やったらわかる」と気持よく言われました。本当にその通りですね。考えるよりカラダを動かせということでしょうか。


 夜は、魚などをごちそうになりながら、お話をしました。

 中里孝一さんからは、「深夜であっても、何時ごろに我々が船越にきたのかわかる」と言われました。夜中寝ていても、家の前を通る車の音でだいたいわかるのだそうです。漁師は身の回りの音などに敏感だからでしょうか。それとも船越を自分の庭のように感じているからなのでしょうか。

 また、孝一さんの家に、息子の将太君が南洋のカツオ漁修行から帰ってきました。これからは、孝一さんの跡継ぎとして船越で漁の勉強をしていくそうです。「オイ(私)はここの息子だよ」という言葉が強く印象に残っています。

 
小学校跡地から海を見る

 今回訪問して目についたのは、海のそばでは、漁に必要な船、納屋、海水を汲み上げるポンプなどが作られてきていて、漁師さんたちがは忙しそうにしていたことです。まだまだ揃っていないこと、足りないことも多いのでしょうけど、着々と海の仕事は前に進んでいるようにみえました。

 一方、海辺を離れると、最近まで残されていた小学校や家や漁協施設が取り壊され、草が生い茂り少しさみしいです。また、現在でもみなさんの住まいは石巻市内や登米(とめ)市など、車で1時間ほどかかるところにバラバラに住んでおり、高台の住居もようやく測量が始まった所だそうです。生活の拠点としての船越ができてくるのは、もう少し時間がかかりそうで、なるべく早く高台住宅ができたらと思いました。

文責 根岸

火曜日, 12月 17

12月18日(水) team SAKEの活動報告会

注)案内していた時間が間違っていました。18時でなく19時スタートです。


 ****

宮城県三陸海岸の小集落では高台移転が決まったものの、
現実の「復興」作業は目に見える形ではなかなか進んでいません。

そんな中、力強く漁業を再開している者、新しい試みを模索する者、元の生活再建をあきらめている者
場所や個人によっていろいろなステップを踏んでいて、
一様に「被災地」というくくりでの捉え方はできなくなっています

震災以前と何が変わったのか、また変わっていないのか。集落の存続へ向けた課題とは何か。
広い三陸のほんの一部ではありますが、teamSAKEが目にしてきた現状を、ありのままにみなさんと共有したいと思います。
お誘い合わせの上、ぜひいらしてください。

◆◇◆宮城県三陸海岸の現在◆◇◆

震災後2年半を経た三陸沿岸
主な集落:気仙沼市 大沢、鶴ヶ浦 石巻市 雄勝町船越、牡鹿町小渕浜 など

■日時:12月18日(水曜日)19時~21時
■場所:京町家 さいりん館 室町二条
京都市中京区冷泉町65(室町二条上る東側京町家)
■アクセス:地下鉄烏丸御池2番出口より徒歩5分
□参加費:無料
□珈琲と軽食あります(有料)

水曜日, 7月 24

第25陣 雄勝町船越・八雲神社の例大祭

7月22日(旧暦8月5日)、雄勝半島の船越において、八雲神社の例大祭が執り行われました。
震災後、船越で初めて行われる大きなお祭りです。

そして今回の祭りのクライマックス、雄勝法印神楽の奉納です。
演じられる内容は、天岩戸、日本武尊の東征などです。
生憎の空模様でしたが、雨の中、前日に組んだ仮設舞台の上にブルーシートを張って舞が披露されました。


舞台の左奥に設けられた小さな舞台を高舞台(こぶたい)といいます。舞台との間には板が渡されており、洞窟に閉じこもったアマテラスはここから出てきます。

舞を披露する雄勝法印神楽保存会も、津波で会長が亡くなるなど大きな犠牲を出しましたが、こうして復興へと向かう各部落で、神楽を奉納し続けています。


演目の合間には3回の餅まきがあります。


こちらでは舞台の傍らで、餅とり名人が熟練の技を披露しています。ひとつひとつ取っている人達を尻目に、一網打尽です。


祭りの時には、船に大漁旗を掲げます。先月に進水式を迎えたばかりの「第七孝丸」にも旗が上がっています。


部落の皆さんは、舞台のすぐ近くでバーベキューをしながら、楽しんでおられました。
滅多に見ることのできない海の男のスーツ姿。普段と雰囲気が変わりますね。


今回獲得したお餅です。船越の方は生で食べたりもします。


今回のお祭りでは海を渡る勇壮な「荒神輿」はありませんでしたが、船越にも豪快な神楽が戻って来た事は、感慨もひとしおです。
船越復興の暁には、是非お神輿もこの目で見たいものです。


なお、この日のお祭りについては、
船越住民であるカツどんどんさんのブログ「雄勝町船越地区の応援」に詳しく紹介されています。


第25陣根岸・文責足立

金曜日, 7月 5

第24陣 船越・第七孝丸の進水式


去る6月1日、船越のリーダー中里孝一さんの新しい船「第七孝丸」が、いよいよ進水式の日を迎えました。






船越の浜で整備されていた第七孝丸。クレーンで吊り上げ、海に下ろします。中里さんは、最後まで大事な船のチェックに余念がありません。




親戚・知人をはじめ、支援者やボランティアなど、今日まで中里さんと関わってきた多くの人々からのたくさんの大漁旗。太平洋から吹く北東の風の下、色とりどりにはためいています。旗竿には、すぐ裏の山に生えている竹を使いました。なんとteamSAKEの旗は一番高い所に掲げてもらっていました。嬉しいやら気恥ずかしいやら。




船の上にいるのは、みんな船越復興のために頑張ってきた人達です。お神酒を口にした後、残りのお酒を船と海に捧げます。

このあと餅まきが行われ、第七孝丸の上からはお餅の他にもお米・カップめん・百円玉などが撒かれました。「ぜひ童心に帰ってね」と言われた私は餅拾いの方に夢中で、写真はうまく撮れませんでした。




そしていよいよ処女航海です。




船越は夏にはハモ(アナゴ)漁が本番ですが、秋にはこの船でサケを獲ります。北上川を遡上するため追波(おっぱ)湾まで帰ってきた所を、網にかけるのです。




以前なら進水式後には部落の人みんなで飲みあかし、空の一升瓶が家中に転がっていたそうです。現在部落の皆さんは、各々遠くの仮設住宅やアパートまで自動車で帰らないといけないため、お酒を飲めません。
その代わりに、この晩は埼玉・大阪・京都から駆けつけて来たボランティアが、お相手をいたしました。

漁師にとって、船は家よりも大事なものですが、それだけに高価で貴重なものでもあり、進水式など滅多にできない人生の一大事です。震災がもたらした不思議な縁で、一人の漁師にとって大切な場面に立ち会う事ができました。

ようやく船越の復興もここまで来たのか、という感慨があります。
あとは港が直り、家が建ち始めるのを見守っていくこととしましょう。



teamSAKE 足立